ビートルズ
2020年3月、イギリスの新聞「The Guardian」紙にジュリアン・レノンによる父ジョン・レノンの回想が掲載された。 www.theguardian.com 自分と母を捨ててオノ・ヨーコのもとへ走った父親への怒りと和解、音楽の道に進んでも父親のキャリアには追い付くことが…
間もなくリリースから50周年を迎え、デラックスエディションのリリースも決まっているザ・ビートルズの『Abbey Road』。 このアルバムの収録曲のベーストラックを抽出した音源をYouTubeで聴くことができる。 やはりポール・マッカートニーが超一流のベーシス…
ザ・ビートルズはちょうど50年前の8月8日、おそらく彼らにとって一番有名な写真撮影を行っていた。 こちらはその8日の朝、まだ4人が現れる前にロケーションを撮影したもの。 撮影は写真家イアン・マクミラン。フリーランスのフォトグラファーで、ジョンとヨ…
以下は1969年1月21日に行われたリンゴ・スターへのインタビュー。その数日後にBBCラジオ1で放送されたものである。 1969年1月はビートルズが「Get Back」セッションをしている真っ最中だった。インタビューの日はいわゆる「ルーフトップ・コンサート」の10日…
// 『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』の有名なアルバムジャケットはイギリスのポップアーティストであるピーター・ブレイクがデザインした、というのは有名な話である。 しかし当時ブレイクの妻であったジャン・ハワースが共同で制作に関わってい…
どんな分野でも今までなかった新しいものが登場すると、露骨に首をかしげたり、中には頭ごなしに否定してかかる人がいるが、それはビートルズに対しても例外ではなかった。 1967年6月18日、米ニューヨークタイムズ紙に「We Still Need the Beatles, but…」と…
ザ・ビートルズの全カタログが公式にCD化されリリースされたのは1987年2月から。 第一弾として、イギリス版のLPである『Please Please Me』から『Beatles for Sale』までの4タイトルがまとめてリイッシューされた。 もっとも日本では1983年に『Abbey Road』…
// 以下は1966年に行われたリンゴ・スターのインタビューである。 活字となりファンクラブ会報に掲載されたのは1966年12月号であるため、おそらくその年の秋ごろに行われたインタビューであろうか。 当時のビートルズは: 8月5日に『Revolver』リリース。 8…
ザ・ビートルズは1966年8月5日、7枚目のアルバム『Revolver』をリリースした。 ビートルズ最高傑作のひとつとして数えられるこのアルバムは、収録曲だけではなく、独特な雰囲気をかもし出すそのアルバム・ジャケットも歴史的な存在感を持っている。 このアル…
レコーディング・アーティストとしてのビートルズを育てあげたその功績により、ジョージ・マーティンについては生前から多くが語られ、高く評価されてきた。 一方、この「第5のビートルズ」としての歴史があまりにも大き過ぎるために見過ごされがちなのが、…
ザ・ビーチ・ボーイズの『Pet Sounds』50周年記念ライヴのために久々の来日が決定しているブライアン・ウィルソン。 彼が『No Pier Pressure』をリリースした翌月の2015年5月、雑誌「Rolling Stone」に「The Music That Made Me」(私を作った音楽)として以…
1965年6月中旬、ザ・ビートルズはアルバム『Help!』のレコーディングを終えるとそのままスペイン、フランス、イタリアなどをまわるヨーロッパツアーを開始、ついでイギリスのブラックプールでのコンサート、そして8月にはアメリカやカナダなどをまわる北米ツ…
日本でも2015年11月6日にリイシューされたザ・ビートルズの公式ベストアルバム『1』は、世界各国でも注目を集めている。 アメリカの経済紙として名高い「ウォールストリート・ジャーナル」も今回のリイシュー盤を取り上げており、その注目の高さが伺える。 w…
2015年9月、リンゴ・スターは写真集『Photograph』を出版した。 リンゴ自身が撮影した写真を集めたもので、ビートルズのメンバー本人ならではのショットがたくさん見られることで話題となった。 「いわゆるスナップショットって言うやつだよ。その瞬間を捉え…
// 今から50年前の1965年8月27日、全米ツアーの最中であったザ・ビートルズの4人は、ビヴァリー・ヒルズにあるエルヴィス・プレスリー邸を訪ねた。 ロックの2大巨頭が一堂に会した、最初にして最後の面会であった。 この世紀の面会にあたり、録音や録画など…
1965年7月、ザ・ビートルズ2本目の主演映画『Help!』が公開された。続いて翌8月、5枚目のアルバム『Help!』がリリースされる。 『Help!』が公開された当時、前作『A Hard Day's Night』に比べると「内容がくだらない」「はしゃぎすぎ」などという厳しい声も…
リンゴ・スターは7月7日、75歳の誕生日を迎えた。 ハリウッドで行われたセレブレーションは、正午を目の前にした11時45分に開始され、映画監督のデイヴィッド・リンチやイーグルスのギタリストであるジョー・ウォルシュらが祝福に駆け付けた。 またリンゴの…
View image | gettyimages.com 先日ポール・マッカートニーがビートルズ来日公演以来49年ぶりに日本武道館でライヴを行った。 これは日本のみならず、世界の音楽ファンの間でも特別な記念すべきイベントとして受け取られているようである。 多くのメディアで…
現在来日中のポール・マッカートニー。 彼が2013年11月に来日した際、イギリスの新聞「The Daily Telegraph」紙が東京ドームの控え室で取材を行い、ポールについての特集記事を掲載した。 その記事には、ポールのパーソナル・アシスタントと楽器のローディー…
最近も話題になったが、1969年に「ポール・マッカートニー死亡説」がまことしやかに流れたことがあった。 (http://www.starsandstories.com/21-of-historys-greatest-hoaxes/) 今となればすべて無理やり作り上げられたような話ばかりだが、当時のファンや…
リンゴ・スターは3年ぶりのニューアルバム『Postcards from Paradise』をリリースした。 このリリースにあたり、リンゴが行った電話インタビューが「radio.com」のサイトに紹介されている。 インタビュアーは「彼はインタビューされることよりも、会話そのも…
ジョン・レノンのアルバム『ロックン・ロール』は1975年2月にリリースされた。 ビートルズの「Come Together」がチャック・ベリーの「You Can't Catch Me」の盗作だとされ、その出版権を持つモリス・レヴィが訴えを起こした。 最終的には和解による告訴取り…
今から半世紀前、ザ・ビートルズはすでに世界最高の人気を誇っていた。 1964年2月にアメリカ上陸を果たし、7月には映画『ア・ハード・デイズ・ナイト』を公開、同名のサントラ盤は全曲レノン=マッカートニーのオリジナル曲で占められており、文字通り自作自…
1965年1月15日、ザ・ローリング・ストーンズはセカンド・アルバム『ザ・ローリング・ストーンズ No.2』をリリースした。 当時は本国イギリスとアメリカでは異なる曲目・曲順でアルバムが編集されており、このアルバムはイギリスでのセカンド・アルバムという…
ポール・マッカートニーが1982年1月にイギリス・BBCの番組に出演し、「無人島に持ってい行くならどのレコード?」という興味深い質問に答えている。 全8曲には、エルヴィス・プレスリーなどの50年代のロックン・ロールのみならず、ジョンレノンの曲や自身の…
ザ・ビートルズがアップルを設立して、そのプロモーションのためにジョン・レノンとポール・マッカートニーが渡米したときのインタビュー。 時は1968年。「I Want To Hold Your Hand」でアメリカ上陸してからわずか4年後。 その間、全米No.1ヒットを連発、66…
タイトルを見る限り、いわゆる”ビートルズ本”の一種類に見えるが、実際は戦後日本の「洋楽受容史」として書かれている本。そういう意味では文化史・社会史に関する本として読める。(つまりもっぱらビートルズだけについて知りたい人には、内容が偏っている…
まだ駆け出しの頃のザ・ビートルズ。ごく初期のビデオとしては比較的良く知られているものだと思う。 この有名な動画でジョージ・ハリスンが弾いているギターは「1957 Gretsch 6128 Duo Jet」。 グレッチのオフィシャル・サイトには、ジョージの所有していた…
(「ポール・マッカートニー 「エピフォン・テキサン 1964年モデル」について語る その2 - ロックの歴史を追いかける」から続く) 【父親の演奏していた音楽】 僕の親父がやっていた音楽はスキッフルでも、ブルースでも、ロックンロールでもなかった。僕が…
(「ポール・マッカートニー 「エピフォン・テキサン 1964年モデル」について語る その1 - ロックの歴史を追いかける」から続く) 【「イエスタデイ」などのフィンガーピッキング奏法】 みんな僕が正しいフィンガーピッキング奏法を身につけていると思って…