エルヴィス・ミーツ・ザ・ビートルズ その歴史的「会談」の様子
今から50年前の1965年8月27日、全米ツアーの最中であったザ・ビートルズの4人は、ビヴァリー・ヒルズにあるエルヴィス・プレスリー邸を訪ねた。
ロックの2大巨頭が一堂に会した、最初にして最後の面会であった。
この世紀の面会にあたり、録音や録画などの記録は行われなかった。
写真撮影すら行われていない。
そんな中、現場に居合わせたビートルズの広報担当トニー・バーローが、その時の様子を語った貴重なコメントが残っている。
(最右がトニー・バーロー)
興味深いことに、バーロー氏がビートルズの4人に「エルヴィスに会ってみないか」と話を持ちかけたとき、彼らは「あのエルヴィスに会えるのか!」というような興奮は見せなかったという。
以下、トニー・バーローによる回想である。
【乗り気ではなかったビートルズ】
どうせ報道陣が入り込んでくるだろう、と言って彼らはあまり乗り気じゃなかった。
「もしこれがまたムカつく宣伝騒ぎになるんなら、やめようよ」とジョージが言ったのを覚えている。
憧れのロックンロールの王様に会いたいとは思っていたようだが、記者やカメラマンたちの集団に取り囲まれてもみくちゃにされるのは嫌がっていた。
そこで基本的な約束事が決められた ― 記者は呼ばない。写真は一切撮らない。録音・録画もしない。この会見の計画は事前に外部に漏らさない。
【エルヴィス・プレスリーの豪邸】
エルヴィス邸に到着したのは夜の10時少し前だった。
私たちはパーカー大佐(エルヴィスのマネージャー)とその部下たちに連れられ、3台の大きなリムジンで乗り込んだ。
エルヴィス邸は2階建ての建物が丘に面して建てられているものだった。
広大な敷地に、たくさんの窓と広い庭のある円形の建物で、周りにはロールスロイス1台と、数台のキャディラックが停めてあった。
邸宅の門前にはかの有名なメンフィス・マフィアたちが門番をしていたが、私たちの乗ったリムジンはスムーズに入ることができた。
扉を開けて入ると、足が沈んでしまうほどふかふかのカーペットが敷いてある。
邸宅の真ん中までたどり着くと、赤と青のライトで照らされた広い円形の部屋に入った。そこがキングが私たちをもてなしてくれた場所だ。
【気まずい雰囲気で始まった面会】
この部屋はエルヴィスのくつろぎの場で、カラーTV、ジュークボックス、三日月形のソファ、数台のビリヤード台、そして酒が十分にそろえられたバーが設置されていた。
そこにいたエルヴィスの取り巻き連中は、おそらく合計で20人はいただろう。
私たちが最初に顔を合わせると、奇妙な沈黙があった。
エルヴィスはとても物静で、微笑みながらみんなと握手をした。
会見のはじめの段階では、緊張はほぐれなかった。
ジョンがエルヴィスに向かってぎこちなく質問をぶつけ始めた―「どうして最近は映画のための生やさしいバラードばかり歌うんですか?」「昔のロックンロールはどうなったんですか?」
ビートルズとエルヴィスはツアーの話をしたが、あまり盛り上がらなかった。
最初の会話で彼らはすぐに疲れてしまい、気まずい沈黙が続いたまま、5人は立ちっぱなしだった。
【世紀のセッション】
私が思うに、彼らはお互いに対して臆していたような感じだった。
私が見ていた限り、エルヴィスもあまり自信なさげに見えたのだ。
しかしそこでエルヴィスはギターを持ってこさせ、ジョン、ポール、ジョージに渡した。ピアノも登場した。
このときまでこの集まりは活気がなく、退屈な感じであった。
しかしプレスリーとビートルズがいっしょに演奏を始めるや否や、生き生きとした雰囲気となった。
彼らは言葉で話すよりギターを演奏したほうが、はるかに楽しい会話ができることに気づいたのである。
音楽こそ彼らが出会ったものであり、最もすぐれたコミュニケーションの手段だったのだ。
彼らが演奏した曲が何であったか思い出せないが、そのうちの一曲が「I Feel Fine」だったことは覚えている。
あと、リンゴのことを思い出す。
手元に楽器がなかったリンゴは、指で近くにあった木製家具をたたいてビートを取っていた。
みんなが歌っていた。
エルヴィスはベースのコードを弾いて見せて、「ほら、いま練習してるところなんだよ」とポールに言った。
「大丈夫ですよ。ここだけの話だけど、僕とブライアン・エプスタインがあなたをすぐに大スターにしてあげますから」と気の利いたジョークでポールは返した。
写真か録音があったら素晴らしかっただろうと思う。
レコーディングしてあったら、それこそ値段の付けられないものになったに違いない。
何百万ドルのテープになったに違いないのだ。
でもそんなものは存在しない。
とにかく素晴らしいセッションだった。
【パーカー大佐とブライアン・エプスタイン】
パーカー大佐とブライアン・エプスタインはこのセッションにあまり興味を持たず、5人を演奏させたままにしておいた。
パーカー大佐がエプスタインの方に手をかけ、部屋のすみの静かなところへ連れて行った。
このときエプスタインは、パーカー大佐に持ちかけようとひそかに温めていたアイデアを話すチャンスを得た。
彼は、エルヴィスにイギリスでコンサートをするようパーカー大佐を説得しようとしていたのである。
しかしこれははじめら望みのないプロジェクトだった。
その時は、パーカー大佐は考えておくよ、と答えて可能性を残したままにしておいた。
(パーカー大佐とエルヴィス)
エルヴィスとビートルズのパーティは、パーカー大佐の掛け声で終わりになった。
彼はエルヴィスのアルバムが詰め込まれたプレゼントをビートルズたちに渡した。
私たちがリムジンに戻るとき、ジョンはアドルフ・ヒトラーの物まねをして「キングよ、永遠なれ」と大声で叫んだ。
リムジンに乗ると「エルヴィスは(マリファナで)ハイになっていたぜ」とジョンが言い、ジョージは「これで全員かな?」とつぶやいた。
ビートルズたちはエルヴィスをあまり大きく見ないようにしていたし、キングへの憧れをあまり表に出さないようにしていた。
しかしエルヴィスはビートルズの音楽に最も影響を与えた存在の一人なのである。