ヴァン・ヘイレン『バランス』とサミー・ヘイガー時代の終わり
ヴァン・ヘイレン10枚目のスタジオ・アルバム『バランス』は、1995年1月24日にリリースされた。
翌月の95年2月にはビルボード全米No.1となり、ヴァン・ヘイレンにとって最も成功したアルバムの一つになった。
成功の影に苦しみがあるのは常のようで、このアルバムについても製作過程そのものは決して順調ではなかったようだ。
【サミー・ヘイガー加入後の世界的成功】
1985年、オリジナル・メンバーであったデイヴィッド・リー・ロスが脱退、その後を埋めるためサミー・ヘイガーが2代目ヴォーカリストとして加入した。
翌年リリースされたヘイガー加入後最初のアルバム『5150』は、ヴァン・ヘイレンにとって最初の全米No.1アルバムとなった。
以降、1988年の『OU812』、1991年の『For Unlawful Carnal Knowledge』と、リリースするアルバムは連続して全米No.1を記録している。
1992年には『For Unlawful Carnal Knowledge』がベスト・ハード・ロック・パフォーマンス部門でグラミー賞を受賞、さらに1993年には初のライヴ・アルバム『Right Here, Right Now』をリリースし全米No.3を記録した。
【サミー・ヘイガーとバンド内の亀裂】
このような目覚しい活躍の一方、デイヴィッド・リー・ロス時代のヴァン・ヘイレンを懐かしむファンも多かった。
彼らはヘイガー時代のヴァン・ヘイレンを「ヴァン・ヘイガー」などと呼び、ロス時代と線引きをしようとしていたらしい。
バンド内でも、自らもギターを弾きこなすヘイガーとヴァン・ヘイレン兄弟との確執は強くなっていった。
またベースのマイケル・アンソニーはすでに二人の娘の父親となっおり、必ずしもバンド活動を最優先しなくなっていた。
こうした中、必然的に次のアルバム『Balance』は4人が団結して作ったアルバムとは程遠いものになってしまった。
ヴァン・ヘイレン兄弟が毎日8時間レコーディング・スタジオにこもって働いていた一方、ヘイガーは午後に2時間だけ顔を出すことが多くなった。
収録曲の中には、ヘイガー以外のメンバーがロサンゼルスのスタジオでレコーディングし、ヘイガーのみカナダのヴァンクーヴァーでリード・ヴォーカルをレコーディングしたものも含まれているという。
【『バランス』の成功とその後】
このような状況でレコーディングしたにもかかわらず、このアルバムはまたもや全米No.1ヒットとなり、続いてヴァン・ヘイレンはツアーに出た。
しかし、バンド内の軋轢はひどくなる一方で、かつて深酒のクセがあったエディ・ヴァン・ヘイレンは、このツアー中に再びアルコール浸りの生活になったという。
ヴァン・ヘイレンは『Balance』とそれに続くツアーの後、ベスト・アルバムを検討していたが、ヘイガーはこのタイミングでのベスト盤リリースには賛成できなかった。
また、映画『ツイスター』のサウンドトラックに、バンドとして2曲を提供することにも反対だった。
自分たちのファンたちが、たった2曲のためだけにサントラ盤を買わなければいけない、ということが反対の理由らしい。
結局、2曲のうち1曲「Humans Being」にはヘイガーは参加しているが、もう1曲「Respect the Wind」はエディ&アレックス・ヴァン・ヘイレンとして発表された。
またヘイガーが反対していたベスト・アルバム『Best Of – Volume I』には、新曲2曲が加えられたが、これにはヘイガーではなくデイヴィッド・リー・ロスがヴォーカルで参加した。
これを期に、ヘイガー時代が終わったと見られている。
1996年、ヴァン・ヘイレンからはサミー・ヘイガー脱退と発表されたが、ヘイガー自身は解雇されたとコメントしている。