エリック・クラプトン「私が学んできたこと」(2007年のインタビュー)

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雑誌「エスクワイア」誌に掲載されたこのインタビューは、クラプトンの独白の形で掲載されているが、ところどころに格言のような言葉が発見できて興味深い。

 

「Tears in Heaven」はもう歌うことはできない、と語っているなど、彼の当時の本音もうかがえる。

 

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私が今まで学んだことのなかで最も有益なことの一つは、いかに発言を控えるかということだ。

 

父親になるまでは、私は自分の人生についてばかり考えていた。しかし父親になったとき、人生とは何なのか理解できた。それは人の役に立つことの喜びなんだ。

 

初めから私は、たとえ他に何もなかったとしても、音楽だけは自分にとって間違いのないものであることを直感的に知っていた。音楽については、誰に説明してもらう必要もなかった。音楽は仲介人を必要としない。一方、学校でやる他のことはすべて何らかの説明が必要だった。

 

数週間演奏をしてみてから初めて私はテープにレコーディングする。誰かがこんなことを言ったことがあった ― クインシー・ジョーンズもそうだったかも知れない、とね。クインシー・ジョーンズはアイデアが浮かんでも、すぐにはそれに取り掛からない。そのアイデアを何度も思い出し、彼を悩ますようになったらレコーディングをするんだ。

 

ジミ・ヘンドリックスのためにギターを買った。白の左利き用のストラトキャスターだった。翌日、彼が死んだと聞いた。酒とドラッグを混ぜたものでトリップしたあとに気を失い、自分の吐しゃ物で窒息死したのだ。

なぜあの時私はドラッグを止めなかったのだろう?あれは自分の横柄さが出たのだと思う。自分はきっと大丈夫だ、と思い込むような横柄さがあった。ある種のアーティストを気取っていて、ダークな部分に頭を突っ込もうとしていた。

私にドラッグを止めさせようとするのは、危ない仕事だったはずだ。いま思い返してみると、ドラッグで潰れていた私に語りかけてくれた人たちの真心と愛情を、私はよく理解できる。私は、それらを無視するというやり方で彼らの顔をひっぱたいたようなものだ。自分がそれくらい心無い、冷淡な人だったことが今となって良くわかる。

 

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もう堕ちるところまで堕ちた、と私に教えてくれたのは「釣ざお」だったんだ。人はみな私が落ちぶれてしまっている、と言っていた。果たして自分はそんなひどい状態なのか?分からない、どうだろう?自分ではそこまでダメになったようには感じなかった。自分のそんな状態から抜け出すにはどうしたらいいか?

私は釣り出かけた。私はいつも自分は腕のいい釣り師だと思っていた。私はリヴァー・ウェイ(テムズ川の支流)に行き、釣りのスポットにたどり着いた。自分のリールをセットすると、私はバランスを崩してロッドによりかかるように倒れた。そしてロッドを壊してしまった。

それ以来釣りに行くことすら出来ない。バン!自分は底辺にまで堕ちてしまったんだ。お前は釣り師ではないんだ、目を覚ませ、ということだ。

 

じゃあ、自分は何者なのか?アル中患者だ。

 

治療を受け始めるまで、私は誰の助けも求めたことがなかった。人の助けを求めなくてはいけないのなら、むしろ答えなど知らないでいいと思っていた。だからこそ、治療は私にとってとても素晴らしいものだったのだ。出来る限りのことをして私が常識人になるように導いてくれた。そのために私は人に助けを請わなければいけなかった。

たとえばコーヒーを作る場合。そこにあるコーヒーマシーンにこれらの材料を入れてコーヒーを作るんですよ、と教えてくれる。私はコーヒーのいれ方を知らなかったので、人に聞く必要があった。こうして少しずつ私は人から助けてもらった。

 

リスクというのは、自分の力が及ばないことをコントロールしようとすることだ。

 

何か足りないものがあると感じている人が、その解決法としてお金を求める場合がある。彼らは、自分が何を求めているのかよく注意したほうが良い。ただ単にお金を手に入れるだけで終わってしまうことがあるからだ。

 

 

 

私はiTunesで曲探しをするのが得意だ。自分が買うべき曲かどうか素早くわかる。

 

Layla」は輝く黄金だった。水や砂の中を覗き込んでいるときに、突然光り輝くものを見つけることがある。自分には「よし、この曲はヒットするぞ」という感じのものは決してない。「ここに母なる鉱脈が見つかったぞ!」という感じだ。

 

「Tears in Heaven」は扱いにくい曲だ。もう演奏することはできない。私の息子の思い出や、その時の私の気持ちを使って観客の関心を得ようとするのは不適切だろう。

 

もちろん後悔していることはある。数限りなくある。もっとも後悔していることの一つは、ジョージ・ハリスンの結婚生活に足を踏み入れたことだ。

ディランが演奏していた素晴らしい曲はなんだったっけ?「Don't go mistaking paradise for that home across the road」*1。あの歌が何にインスパイアされてできたのか知らないが、まさに私の経験はあの歌の通りなのだ。

 

友人のスティーヴ・ウィンウッドは自分の子供たちに、「もし早くないようであれば、すでに遅い。その中間というものはない」と教えていると言っていた。

 

 

 

回復してきたときに自分のアイデンティティが変わった。自分が今ある状態がそのアイデンティティだ。ミュージシャンなどのアイデンティティよりも、もっと大きな喜びを私に与えてくれるし、自分を管理しやすい状態に保つことができる。

自分が病気でも(私はこの病気を抱えていることを喜んでいる)寝ていると、調子が戻ってくる。精神面で安定させてくれるのだ。これ以上は説明できない。

 

私が思うに、セレブリティになることで最も大変なことは、気分が乗らない時でも丁寧な対応をしなければいけないことだ。

 

写真を撮られることは好きではない。この点、私は昔のアフリカ人とほとんど同じだ。写真を撮られると魂を抜かれると思っている。

 

私が定義する平安とは、頭の中に雑音が全くない状態だ。

 

 

 

 

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*1:「The Ballad of Frankie Lee and Judas Priest」より。『John Wesley Harding』収録。