レッド・ツェッペリン 解散発表から35年
1980年12月4日、レッド・ツェッペリンはバンドとしての活動を止めることを正式に発表した。
ジョン・ボーナムの死は、この発表の約2ヵ月前、9月25日のことであった。
レッド・ツェッペリンは1980年の秋からツアーを始める計画があり、その準備が着々と進められていたところであった。
ボーナムは亡くなる日の前夜、大量に酒を飲み、そのままベッドへ突っ伏した。
そのベッドの上で、自分の吐しゃ物により窒息死したのである。
事故死と断定された。
レッド・ツェッペリンは、この重要メンバーがいない状態で今後どのように活動するべきか、という問題に直面した。
準備の進められていた秋からのツアーは急遽キャンセルされた。
一方ファンの間では、レッド・ツェッペリンは数々の有名なドラマーと接触してボンゾの後釜を見つけようとしているらしい、という噂が広まっていた。
しかし残りの3人は、ほかのミュージシャンにドラムを演奏させることで、今まで4人で築き上げてきた歴史を変えてしまうのは正しくない、という結論に達したのである。
そして12月4日、きわめて簡潔に、そしてきわめて温かい言葉で彼らの決定を発表した。
親愛なる友人の死、彼の家族に対する深い敬意、そして私たちが感じてきた分かつことのできない調和。
こういったことから、私たちは今までと同じように続けることはできないという判断に至ったことを、皆さんにご理解いただきたい。
このとき以来、ロバート・プラント、ジミー・ペイジ、ジョン・ポール・ジョーンズは、時おり一緒に演奏やレコーディングをしてきた。
しかし3人が結集する機会はごく限れられていた。
1985年、3人が「ライヴ・エイド」のステージに立ち、このときはフィル・コリンズやトニー・トンプソンがドラムを担当した。
また1988年に行われたアトランティック・レコード40周年記念コンサートでも3人がそろい、このときはボンゾの息子ジェイソンがドラムキットの後ろに座った。
最近では、2007年にロンドンのO2アリーナで行われたアーメット・アーティガン追悼コンサートでの再結成がある。
大成功をおさめたライヴとなったが、またしても彼らは莫大な収益が見込まれる再結成ツアーを断り、現時点ではこれがレッド・ツェッペリンとしては最後のステージとなっている。