ジミー・ペイジの80年代 ザ・ファームのころ
1985年2月『ザ・ファーム』というアルバムがリリースされた。
タイトルどおりイギリスのロックバンド「ザ・ファーム」のアルバムである。
このバンドはジミー・ペイジがギターを担当、またフリーやバッド・カンパニーで活躍していたポール・ロジャーズがヴォーカルとしてペイジと組んだことなどが話題となり、当時は「スーパーグループ」として注目された。
【レッド・ツェッペリン後のペイジ】
1980年9月にジョン・ボーナムが亡くなってしばらくの間、ジミー・ペイジはギターを触ろうとしなかったと伝えられている。
しかしペイジは1981年3月、ジェフ・ベックのロンドンでのライヴにゲスト出演し、カムバックを果たした。
1982年、マイケル・ウィナー監督、チャールズ・ブロンソン主演の映画『ロサンゼルス』(原題:Death Wish II)のサントラを担当し、ツェッペリン後始めてのアルバムをリリースした。
当時マイケル・ウィナー監督はペイジの近所に住んでいた。
ウィナー監督は当時のペイジの様子をこう語る。
ドラマーの死後、ジミーはまったく活動してなくて、苦しい時期を過ごしていたんだ。
風が吹けば倒れてしいそうなくらい弱々しく見えた。
しかしペイジの作り上げた音楽については「これほどプロフェッショナルな仕事はほかにないだろう」と、ウィナー監督は大満足であった。
1983年、「多発性硬化症」の専門研究機関を支援するチャリティーコンサート「ARMSコンサート」が、フェイセスのベーシストであったロニー・レインの提唱によりロンドンで開催された。(ロニー・レイン自身もこの病で苦しんでいた。)
このとき、エリック・クラプトンやジェフ・ベック、スティーヴ・ウィンウッドらとともに、ペイジもステージに上がった。
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このあと、このチャリティーコンサートはアメリカでも行われたが、それに同行できなかったスティーヴ・ウィンウッドの代わりに、ポール・ロジャーズが参加した。
【バンド「ザ・ファーム」の誕生】
アメリカでの「ARMSコンサート」で意気投合したジミー・ペイジとポール・ロジャーズは、引き続きコラボを続け、ベースとドラムを加えて新バンド「ザ・ファーム」を1984年に結成した。
ペイジもロジャーズもすでにほかのバンドで名声を確立した存在であったが、二人ともかつて在籍していたバンドの曲はやらない方針を打ち出した。
彼らはアルバムをリリースする前にツアーを行ったが、ここでもレッド・ツェッペリンやフリー、バッド・カンパニーの曲は演奏せず、まだリリースしていないザ・ファームの曲か、ペイジまたはロジャーズのソロ・アルバムからの曲のみでセットリストが構成されていた。
しかしペイジは『ロサンゼルス』のサウンドトラック収録曲を演奏するとき、ヴァイオリンの弓でギターを弾くという「Dazed and Confused」を髣髴とさせるパフォーマンスを見せ、観客をわかせたという。
ツアーを終え、イギリスでのレコーディングを終えたザ・ファームは、セルフ・タイトルのファースト・アルバム『ザ・ファーム』をリリースした。
このアルバムに収録されている「Midnight Moonlight」は、レッド・ツェッペリンの『フィジカル・グラフィティ』時代に作られたもので、当時は「Swan Song」と題されていた曲といわれている。
(この映像はザ・ファームのライヴではなく「ARMSコンサート」から。)
またアルバムからのファーストシングル「Radioactive」はビルボードで全米28位、同じくビルボードのTop Rock Tracksチャートでは1位を獲得するヒットとなった。
レッド・ツェッペリン時代にはプロモーション・ビデオを作らなかったペイジだが、この曲ではかつてのダブルネック・ギター「Gibson EDS-1275」を手に登場する。
このファースト・アルバムは全米17位、全英15位とそれなりの売上を記録した。
【その後のザ・ファーム】
翌1986年にリリースされたセカンド・アルバム『ミーン・ビジネス』も、全英チャートでは46位どまりであったが、全米チャート22位まで登った。
その後1986年5月までツアーを行ったが、その後ザ・ファームは解散。
解散の理由はよく分かっていないが、後にペイジは「あのバンドではアルバムを2枚以上やる予定は最初からなかった」と語ったことがある。