ジミー・ペイジが語る「BBC時代」のレッド・ツェッペリン

 

レッド・ツェッペリンの8枚のオリジナル・アルバムおよび『Coda』のリマスター&リイシューに続いて、再びファンを喜ばせてくれる決定盤の登場となったのが『The Complete BBC Sessions』である。

 

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今回のリリースには1997年11月にリリースされたものに9トラックが追加されている。

 

レッド・ツェッペリンBBCラジオ出演】

かつてBBCラジオには「Top Gear」という番組があった(1975年に終了)。

(※現在BBCテレビで放送されている自動車番組の「Top Gear」とは関係ない。)

 

この番組ではすでにリリースされているレコードをかける場合もあったが、この番組のために特別にレコーディングされた演奏も放送していた。

 

レッド・ツェッペリンもこの番組のオンエア用のレコーディング・セッションをBBCのスタジオで行っている。

 

当時この番組のMCは、イギリスで最も著名なDJジョン・ピールであった。

 

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John Peel(1939~2004)

 

BBC Sessions』に含まれているライヴ・レコーディングの一部は、この「ジョン・ピール・セッション」のものである。

 

当時を振り返ってジミー・ペイジは語る。

「(ジョン・ピールが)私たちを評価していたという話を聞いたことがあったが、あの時点で評価してくれていたかは分からない」

「1969年に(イギリスの)バースで行われたフェスティバルで私たちが初めて出演したときは、ジョン・ピールが担当していたステージで演奏したんだ。彼とはそこら中でつながりがあったんだよ」。

 

 

以下は、『BBCセッションズ』のリイシューに合わせてイギリスの新聞「The Guardian」が掲載したジミー・ペイジのインタビューである。

 

www.theguardian.com

 

 

Q. あなたとジョン・ポール・ジョーンズは、レッド・ツェッペリンの前にセッションミュージシャンとしてBBCで何曲もレコーディングをしていますね。

 

ジミー・ペイジ(以下JP)一緒に演奏したのではないと思うけど、でも別々であれば確かにやっているはずだ。トム・ジョーンズのために演奏したのを覚えている。どの機材を持ち込めばいいか分かっていたから、ジョン・ポール・ジョーンズも私も機材を分解しておいた。そのほうが楽だからね。レコーディングは時計とのにらめっこだった。イギリスでは休憩するまでしばらく時間がかかる、っていうからね。

 

 

Q. 当時のBBC Radio 1は、「Top Gear」などの番組を通してアンダーグラウンドな音楽への足掛かりを提供していたのではないですか?

 

JP: 私たちはシングルをリリースしなかった。では、どうやってラジオでオンエアしてもらえるか?私たちはその場に行って、とにかくエネルギーを形にして表したかったんだ。もしくはラジオにそれをやってほしかった。そして実際BBCがそれをやってくれたんだよ。そこに「Top Gear」という番組があったんだ。

クリス・グラントの「Tasty Pop Sundae」という番組のためにも私たちはレコーディングをしていて、そこでスタジオでのレコーディングがどんなもので、どんな雰囲気なのかを知ることができた。BBC World Serviceの番組にも出演したが、これも(レッド・ツェッペリンの音楽を)オンエアに乗せるためにやったんだ。

 

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Q. スタジオでアルバムをレコーディングしている時のあなたの完璧主義を考えると、オンエア用のレコーディングは午後に行ったのですか?

 

JP: 午後の全部を使ったわけじゃないよ!一時間ちょっとの間でトラックのレコーディングとオーバーダブといった仕事を終わらせた。トラックを完成させて、ロバートがヴォーカルを乗せ、音の調整をする。聞こえてほしい音質になるように整えるんだ。私がレコーディングを取り仕切りオーバーダブすることも認められていたが、基本的に追加できるのは1回だけだった。でも初期の曲はすでに演奏したものばかりだったし、中期の曲もレコーディングしたばかりの時だったから、演奏するのは慣れていた。だから(ラジオ用のレコーディングは)それほどストレスになる作業じゃなかったんだ。

あの当時は、たとえアルバムのリリースが数ヶ月先だったとしても、レコーディングしたばかりの曲をセットリストに加えることができた。今はそれが出来ない。演奏したらすぐにYouTubeにアップされてしまうからね。

 

 

Q. BBCのエンジニアやプロデューサーのなかには、あなたにスタジオのスイッチを押すなと言い張るような分からず屋はいましたか?

 

JP: いたかもしれないけど、覚えていないな。ある優秀なエンジニアがBBCにいて、そのあと別のセッションのためにBBCに行ったときに「この前のエンジニアはどこにいる?」って聞いたんだ。すると「ああ、彼は昇進したよ。今はプロデューサーになった」って言うから「音楽番組の?」と聞いたら「違うよ、彼はWorld Serviceの番組で働いているよ」なんてことがあった。私にはちょっと奇妙なことに感じたが、あれがBBCの伝統っていうものなんだろう。

 

   

 

Q. TV出演の可能性はなかったのですか?それともラジオのほうが好きだったのでしょうか?

 

JP: 番組の名前は忘れてしまったが、アート系番組に参加したことがある。「Communication Breakdown」を演奏した。ジョン・ジェシーというアンティークのディーラーが出演していた番組だった。でもほかには何も覚えていない。

テレビは「Top of the Pops」以外私たちのようなバンドを求めている番組はなかったんだ。私たちはテレビには不向きだった。「Whole Lotta Love」以外はね ― あの曲は毎週かかっている!

(注:BBCテレビの音楽番組「Top of the Pops」では、現在「Whole Lotta Love」の有名なリフが番組のジングルとして使われている。)

 

 

Q. BBCからセッションのオファーがあったのですか?それともマネージャのピーター・グラントがBBCと折衝をしたのですか?

 

JP: ピーター・グラントがやったと思う。彼はミッキー・モストや彼がプロデュースしたハーマンズ・ハーミッツなどのバンドとコネクションがあったからね。彼は番組編成担当をたくさん知っていたよ。

(注:ミッキー・モストはイギリスの音楽プロデューサー。ハーマンズ・ハーミッツのほか、ドノヴァンやアニマルズのプロデュースも担当した)

 

 

 

Q. テクノロジー、文化面での変化、そしてアンダーグラウンドなものの普及などが合わさったことで、あのようなレベルの高いものが達成できた ― そんな時代に活躍できたという点であなたはとても運がよかったと思いますか?

 

JP: 全く君の言うとおりだと思うよ。バンドにとっても音楽全般にとってもとても健全な時代だった。あの時代は、レコード会社はA&R(アーティストの発掘や売り込み)に力を入れ新しいバンドを一生懸命探していた。まさにレッド・ツェッペリンの時代だったんだ。そういう時代だったことがうれしいよ。

 

 

Q. この何年かの間、新しいバンドを始めると言っていましたが、その兆しはありそうですか?

 

JP: 私の計画にはいろいろなことが入り込んでくるんだ。もう今頃は演奏しているはずなんだが。しかし来年にならざるを得ないよ。時間がないからね。急いでやるつもりはない。もう来年になってしまうのははっきりしている。私はやりたいと思っているし、しっかり進めたいと思っているんだ。

 

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