レッド・ツェッペリン「In My Time of Dying」に至る歴史
レッド・ツェッペリンは1975年2月24日、通算6枚目のスタジオ・アルバム『フィジカル・グラフィティ』をリリースした。
それからちょうど40年後の2015年2月24日に、リマスター盤がリリースされる。
このアルバムは、レッド・ツェッペリンのスタジオ・アルバムのうち唯一の二枚組であり、前作『聖なる館』(1973年3月リリース)以降に作られた新曲のみならず、『レッド・ツェッペリンⅢ』以降のアウトテイクも含めた、全15曲・82分間に及ぶ大作である。
【レッド・ツェッペリンの最も短い曲】
『フィジカル・グラフィティ』の収録曲はバラエティに富んでいるが、それぞれの曲の長さもまたバラエティに富んでいる。
その結果というべきか、このアルバムにはレッド・ツェッペリンのスタジオ・アルバムの中で最も短い曲と、最も長い曲が収められているのである。
最も短い曲は2分6秒の「Bron-Yr-Aur」。
1970年リリースの『レッド・ツェッペリンⅢ』のセッションでレコーディングされていたが当時はお蔵入りとなり、5年後に日の目を見た。
この曲以降、レッド・ツェッペリンはインストルメンタル曲はリリースしておらず、「ツェッペリン最後のインスト曲」とも言える。
【レッド・ツェッペリンの最も長い曲】
一方、最も長い曲は「In My Time of Dying」であり、11分4秒に及ぶ。
この曲の作者としてはバンドのメンバー4人全員がクレジットされているが、「原曲」といえるものをボブ・ディランがデビューアルバムに収録していることは良く知られている。
しかし本当の原曲は、ディランをはるかにさかのぼり、1920年代に作られていた「Jesus Make Up My Dying Bed」という曲である。
この曲を作詞作曲した人が誰であるかは特定されていない。
クレーブランドの黒人霊歌であったという説や、ルイジアナのストリート・パフォーマーが歌っていた曲だという説などがある。
1926年、“Reverend J.C. Burnett”と呼ばれる人物が「Jesus Is Going to Make Up Your Dying Bed」という歌を録音したという記録があるそうだが、これがリリースされることはなかった。
翌1927年、ブルースシンガーであるブラインド・ウィリー・ジョンソンが初めてレコーディング・セッションを行った際、この歌を録音し、28年に自身のファーストシングルとしてリリースした。
(ブラインド・ウィリー・ジョンソン(1897-1945)はアメリカのゴスペル・シンガー、ブルース・ギタリスト。)
コロンビア・レコードは初回プレスで9,400枚を用意。これは当時としては異例の枚数で、さらには追加プレスで6,000枚が出荷されており、デビュー曲でありながらブラインド・ウィリー・ジョンソンの最大のヒット曲の一つとなった。
ちなみにジョンソンは、同じレコーディング・セッションで「It's Nobody's Fault but Mine」という歌も録音している。
レッド・ツェッペリンの次のアルバム『プレゼンス』に収録されている「Nobody's Fault but Mine」の原曲である。
この曲もトラディッショナル・ソングではあるが、最初にレコーディングしたのはブラインド・ウィリー・ジョンソンであると言われている。
【「In My Time of Dying」への進化】
1929 年にはチャーリー・パットンが「Jesus Is A Dying Bed Maker」と歌詞の一部を変えてレコーディングした。
(チャーリー・パットン(1891-1934)はミシシッピー・デルタのブルース・シンガーでギタリスト。)
1933年には、ジョシュ・ホワイトという歌手もこの曲をレコーディングした。
(ジョシュ・ホワイト(1914-1969)はアメリカのシンガー・ソングライター。)
彼は1940年代半ばにもう一度この曲を演奏し、その際「In My Time of Dying」というタイトルを使った。
このバージョンが後の世代に引き継がれていったのである。
いわゆる大衆文化に広く受け入れられたのは、前述のディランのデビューアルバムで取り上げられたのがきっかけであった。
1971年、アメリカの歌手ジョン・セバスチャンはアルバム『The Four of Us』をリリースした。
(ジョン・セバスチャン(1940-)はアメリカのシンガー・ソングライター。)
そのオープニング・トラックは「Well, Well, Well」と題された曲であるが、実は「In My Time of Dying」のジョン・セバスチャン・バージョンであった。
かなりポップに仕上げているが、この「Well, Well, Well」というフレーズの部分を強烈なギターリフとしてアレンジしたのが、レッド・ツェッペリンのバージョンである。
【レッド・ツェッペリンの「自らが死する時」】
ジミー・ペイジのギターはオープンA(E / A / E / A / C# / E)でチューニングされており、スライドギターがフィーチャーされているのも特徴である。
またジョン・ポール・ジョーンズはフレットレス・ベースを使用している。
レッド・ツェッペリンはこの曲を1975年と1977年に行われたツアーでライヴ演奏しているが、その際ロバート・プラントは「デニス・ヒーリー」という人物に捧げることがあった。
デニス・ヒーリーとは、当時イギリスの大蔵大臣をつとめていた人物である。
レッド・ツェッペリンは、すでにレコードの売上とコンサートの成功により莫大な収入があったが、当時のイギリスの税率が高すぎ収入のほとんどが税金として徴収されてしまうため、イギリス国内に住むことができない状態であった。
プラントは、そんな自分たちの状況を「自らが死する時」であると皮肉をこめて、この曲を大蔵大臣に“捧げた”のである。
【ジミー・ペイジと「In My Time of Dying」】
ジミー・ペイジはステージでこの曲を演奏するとき、ダンエレクトロのギターに持ち換えていた。
2003年5月にリリースされた『レッド・ツェッペリンDVD』には、1975年にロンドンのアールズ・コートで行われたライヴの模様が収められており、そこでペイジがダンエレクトロを弾く様子を見ることができる。
また2007年にロンドンのO2アリーナで行われた再結成ライヴでも、この曲を演奏している(使用ギターはダンエレクトロではない)。
ペイジは1993年にデヴィッド・カヴァーデイルと来日公演を行っているが、そのステージでも「In My Time of Dying」は演奏された。
また1999年にブラック・クロウズとジョイントツアーを行った際にも、この曲を取り上げている。