ボブ・ディラン『血の轍』 リリースにいたるまでの紆余曲折
ボブ・ディランの最高傑作(の一つ)と言われる『Blood on the Tracks(血の轍)』は1975年1月20日にリリースされた。
スタジオアルバムとしては1年ぶり、ディラン15枚目のスタジオアルバムとなる。
ちょうど一年前の1974年1月にはザ・バンドとのアルバム『Planet Waves』がリリースされており、リリース後にはジョイントでツアーも行っている。
このツアーの模様はライヴ・アルバム『Before the Flood』として1974年6月にリリースされた。
このツアーの途中でディランはニューヨークに数週間滞在し、美術教室に通っていたらしい。
ディランはそこで絵を教えていた画家ノーマン・リーベンにより、「時間」についての認識方法を新たに学んだという。
無意識に感じていることを意識的に行う、というものの見方をリーベンに教わった。
この方法で最初に作ったのが『Blood on the Tracks』だった。
このアルバムが今までの私の作品と異なることは、みんなが同意してくれるだろう。
歌詞の中に暗号があり、また時間の感覚というものがない ― それが異なるところなのだ。
【マイク・ブルームフェルドとのコラボ】
当初ディランは、エレキギターをフィーチャーした音作りをするつもりであった。
そこでディランは、以前『Highway 61 Revisited』をレコーディングした際にリード・ギターを担当したマイク・ブルームフェルドに連絡をとり、セッションに参加してもらった。
ディランは自分の用意していた曲の数々をブルームフェルドに演奏して聞かせたが、ディランが余りにも簡単にすばやく弾いてしまうため、ブルームフェルドは曲を覚えることができなかったらしい。
全部同じ曲に聞こえたんだ。
どの曲も同じキーで演奏された。
どれも長々と続く曲ばかりだった。
僕の人生の中でも最も奇妙な体験のひとつだったよ。
僕がぜんぜん曲を覚えないもんだから、ディランはあきれていた。
(ブルームフェルド)
結局、ディランはブルームフェルドとロック・バンド編成のレコーディングをすることをあきらめ、すべての曲をアコースティック編成に編曲しなおした。
【アコースティック編成でのレコーディング】
こうして1974年9月16日、ニューヨークでレコーディングは開始された。
しかしこのアコースティック編成のレコーディングでも、ディランはたった2日でバックバンドを解雇している。
このアルバムを担当したエンジニア、フィル・ラモーンによると「ディランはリハーサルで取り入れたメロディを、次のバージョンではまったく別物にしてしまったり、場合によっては一部を削除してしまう」というやり方を、まわりの人に伝えることなく行っていたという。
そのため、バックをつとめるはずであったバンド「デリヴァランス」がディランに付いて行けなかった、というのが理由らしい。
その後、新たにミュージシャンを集めて何とかレコーディングを済ませたディランは、同年1974年11月までにミキシングも終わらせていた。
レコード会社コロンビアも、74年のクリスマスまでのリリースを希望していた。
【アルバムの半分を再レコーディング】
しかし試聴版のレコードを聴かされたディランの弟デイヴィッドは、このアルバムは売れないのではないか、とディランに伝えた。
音作りが余りにも飾り気がなく"むき出し"な感じがする、とデイヴィッドは感じたのである。
(一番左がデイヴィッド・ジマーマン)
このアドバイスを聞いたディランは、デイヴィッドが集めたミュージシャンとともに急遽5曲をレコーディングしなおした。
1974年12月に再度レコーディングされたのは以下の5曲。
- Tangled Up in Blue
- You're a Big Girl Now
- Idiot Wind
- Lily, Rosemary and the Jack of Hearts
- If You See Her, Say Hello
つまりこの5曲については、アルバムに収録されている残りの5曲とはバックバンドやレコーディング・スタジオが異なる。
結局すべての収録曲が完成したのは1974年の年末になってしまったため、リリースは年明けの1975年1月に持ち越されることとなった。
【「最高傑作」アルバムとしての評価】
このアルバムはリリース当初からボブ・ディランの最高傑作という評価を得た。
全米チャート1位、全英チャート4位を記録。また2003年に発表された「ローリング・ストーン」誌による「The 500 Greatest Albums of All Time」では16位となっている。
多くの批評家たちは、このアルバムはディランの当時のプライベート事情が題材になっていると見ているようだ。
ディラン自身はこれを否定しているが、その一方、息子でミュージシャンのジェイコブ・ディランは「両親が話をしているよう」なアルバムだ、と語っている。