デヴィッド・ボウイを再認識するエピソード

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世界中のファンは彼の69歳の誕生日当日、待ちに待ったニューアルバムを手に入れることができた。

しかしその2日後、最も望んでいなかったニュースを聞くことになったのである。

 

メディアでも2001年のジョージ・ハリスン、2009年のマイケル・ジャクソン以来の規模で取り上げられており、デヴィッド・ボウイの存在感の大きさを感じさせる。

 

BBC Newsがウェブサイトで「David Bowie: 69 facts」と題し、ボウイに関わる69のエピソードを紹介している。

この中から、音楽にまつわるトピックをここに紹介したい。 

 

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ロンドンのブリクストンで1947年1月8日に生まれた。エルヴィスと同じ誕生日である。

 

彼が6歳の時、家族でプロムリーという場所に引っ越し、ブロムリー・テクニカル・ハイスクール(現ラヴェンズウッド・スクール)に通っていた。ギタリストのピーター・フランプトンはボウイの同窓生であり、ギタリストとしてもボウイとしばしば共演している。

 

ボウイの片方の眼の瞳孔は膨張した状態になっている(「散瞳」と呼ばれる症状)。ある少女を巡ってジョージ・アンダーウッドという友人とけんかとなり、目にパンチを食らったのが原因。このアンダーウッドとは良い友人であり続け、ボウイの初期のアルバムのアートワークを手掛けている。

 

 ボウイは12歳の時にサクソフォーンの演奏を始めた。

 

最初のシングル曲は「Liza Jane / Louie Louie Go Home」で、1964年6月に「デイヴィー・ジョーンズとキング・ビー」の名でリリースした。

 

後に名前を「デヴィッド・ボウイ」に改めた。アメリカのバンド「ザ・モンキーズ」にデイヴィー・ジョーンズというメンバーがいたため。「Bowie」は「Joey」と韻を踏む読み方をする。

 

17歳の時、BBCの番組に「長髪の男性に対する中傷を阻止する会」の設立者としてインタビューを受けている。「(男性に対して)愛しい人、などと呼ぶのは良くない」と発言している。

 

1967年ごろ、後に「Just Good Friends」というテレビ番組に出演して人気を博した俳優ポール・ニコラスのために歌を数曲書いている。その時、ポール・ニコラスは「オスカー」という名前でレコーディングしていた。

 

CROSSBEAT Special Edition デヴィッド・ボウイ 1969-1973 (シンコー・ミュージックMOOK)  

 

 

パブやクラブのバンドで演奏経験を積んだ後、1967年にデビューアルバム『David Bowie』をリリースした。同じ年にはシングル「The Laughing Gnome」がリリースされている。この曲はファンの間では、ボウイのレコーディングした中でもっともひどい曲だとする意見がある。1990年のワールドツアーに先駆けて、ボウイはファンに向けて歌ってほしい曲の電話リクエストに応じるよう呼びかけたところ、この「The Laughing Gnome」がNo.1となった。しかし彼はこの曲を演奏しなかった。

 

ボウイのイギリスでの最初のヒット曲は1969年リリースの「Space Oddity」である。BBCはこの曲を月面着陸の映像を放映する際に使用した。ボウイの曲に登場する「トム少佐(Major Tom)」は「Space Oddity」 (1969年)、「Ashes To Ashes 」(1980年)「Hallo Spaceboy」(1996年)の3曲に登場する。

 

ボウイのアメリカでの最初のヒット曲は1975年リリースの「Fame」である。ジョン・レノンとの共作で、バッキング・ヴォーカルにもジョンが参加している。

 

モデルのツイッギーは1973年リリースのアルバム「Pin Ups」のジャケットに登場している。

 

1975年リリースのアルバム『Young Americans』のころ、ナイル・ロジャースがギタリストとしてボウイのバンドのオーディションを受けたが、落とされた。しかし後年、ロジャースはボウイ最大のヒットアルバム『Let’s Dance』(1983年)のプロデューサーとして迎えられる。

 

ボウイはそのキャリアを通じて1億4千万枚のアルバムを売り上げた。

 

ナッシング・ハズ・チェンジド~オールタイム・グレイテスト・ヒッツ<デラックス・エディション><デラックス・エディション>  

 

 

BBCが2006年に行った「イギリスの偉大な現役アイコン」の投票で4位を獲得した。ちなみに3位:ポール・マッカートニー、2位:モリッシー、1位:デイヴィッド・アッテンボロー(動物学者、ブロードキャスター)。

 

ボウイはルー・リードの伝説的アルバム『Transformer』の優れた楽曲のいくつかを共同プロデュースしている。

 

ヒット曲「Ziggy Stardust」は「Brand New Cadillac」を書いたヴィンス・テイラーについて歌ったものである。この曲はのちにクラッシュがカヴァーしている。

 

ボウイは「Space Oddity」のイタリア語ヴァージョン「Ragazzo Solo, Ragazza Solo」をレコーディングしている。このイタリア語は「孤独な少年、孤独な少女」という意味である。

 

アルバム『Lodger』に収録されている「Move On」は、同じくボウイの曲「All The Young Dudes」を逆回転で書き直したものである。

 

彼は合計10のバンドに在籍していた。The Konrads、The Hooker Brothers、The King Bees、The Manish Boys、The Lower Third、The Buzz, The Riot Squad、The Hype、Tin Machine、Tao Jones Indexである。またこれらのうちいくつかは別名でパフォーマンスを行っていたこともある。

 

   

 

「The Man Who Sold The World」はルルとニルヴァーナにカヴァーされた。

 

ビング・クロスビーは、その最後のシングルをデヴィッド・ボウイとレコーディングした。デュエット曲「The Little Drummer Boy」は1977年のクリスマス用にレコーディングされ、その5年後にヒットした。

 

ボウイはハニフ・クレイシの小説『郊外のブッダ』が1993年に映画化された際、そのサウンドトラックを書いている。

 

ボウイはスティーライ・スパン(イギリスのバンド)が1974年にリリースしたアルバム『Now We Are Six』に収録されている「To Know Him Is To Love Him」でサックスを吹いている。

 

アルバム『Diamond Dogs』ではすべての楽器を演奏している。「Rebel Rebel」の有名なリフもボウイの演奏である。

 

2013年にロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館行われたデヴィッド・ボウイ回顧展は、この美術館の歴史上最も早いチケット販売を記録した。Ziggy Stardustのボディスーツや、1973年の「Aladdin Saneツアー」で使用された山本寛斎デザインによる派手な衣装などを含めた、60のステージ衣装が展示された。

 

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