ローリング・ストーンズを巨大ビジネスに仕立て上げた「ルパート・ローウェンスタイン」とはどんな人物?

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ルパート・ローウェンスタインは、もともとドイツ・バイエルンに先祖を持つ貴族出身で、英国ロンドンを拠点に置く投資銀行家であり、ザ・ローリング・ストーンズの財政面を再生させ、さらには巨大ビジネスへと導いた敏腕マネージャーであった。

 

1968年、ローウェンスタインはアート・ディーラーのクリストファー・ギブズを通してミック・ジャガーと知り合う。ミックは、当時ストーンズのマネージャーであったアラン・クラインがバンドの収益のほとんどを横取りしていることに危機感を抱いていた。

 

「彼らは完全に彼(クライン)の手に握られていた」ローウェンスタインは2013年に出版した自伝『A Prince Among Stones: That Business With the Rolling Stones and Other Adventures』の中でこう述べている。

 

「さらにはっきりと分かってきたことは、ストーンズはイギリス在住をあきらめなくてはならないだろうということだった。もしそうしないと、イギリスでの収入に対して83~98%の税金が課される可能性があったのだ」

 

租税回避とレコード契約、ツアーの大成功

ローウェンスタインはストーンズに、課税が厳しくない南フランスへ移住することをすすめた。1971年、バンドはキース・リチャーズの借りていた家「ネルコット」で『Exile on Main Street』をレコーディングする。

 

「租税回避についてふれたタイトルでトップセラーになった数少ないアルバムの一つ」とローウェンスタインは述べている。

 

その一方でローウェンスタインは、迷宮入りしてしまったアラン・クラインの財政管理からストーンズを解き放つことに取り掛かった。そしてデッカレコードとの直接契約から、「ローリング・ストーンズ・レコード」からレコードをリリースし、それをアトランティック・レコードなどその他のメジャーなレコード会社を通して流通させるというシステムに乗り換えることに成功した。

 

同時に、ストーンズのツアー収益を最大にする方法も進めていった。ローウェンスタインはツアーにスポンサーをつけ、大企業と広告契約をすることが収益向上のために重要であることを分かっていた。またストーンズを、その「ベロ」のロゴとともにグローバル・ブランドに仕立て上げることにも大きな役割を果たした。

 

ストーンズは1989年「Steel Wheels ツアー」を開始するにあたり、カナダのコンサート・プロモーターであるマイケル・コールと契約したが、ここでもローウェンスタインが活躍している。この契約では、ストーンズは多額の前払金を受け取り、一方コール側はチケット代、スポンサー、グッズ販売、放映権などから多額の収益を得るようになっていた。

 

このツアーは当時、ロック史上最大の収益を生み出したツアーとなったが、ストーンズとコールはその後も「Voodoo Lounge ツアー」「A Bigge Bang ツアー」と、次々とその収益額を更新していった。「A Bigger Bang ツアー」では5億5,800万ドルの収益を計上している。

 

ローウェンスタインの財務管理は大成功を続け、2005年にはミック・ジャガーキース・リチャーズチャーリー・ワッツの3人のメンバーの収入は8,130万ポンドの一方、税金はわずか1.6%しか課税されていなかった。

 

ファンではないからこそできた冷静な判断

ローウェンスタインはマヨルカ島に生まれ、のちにイギリスに移住した。 オックスフォード大学で歴史を学び、卒業後はロンドンで株のブローカーとしてキャリアを開始。 1963年、ローウェンスタインは友人たちとパートナーを組んで投資銀行「Leopold Joseph & Co」を60万ポンドで買収し、オーナーとなった。

 

ミック・ジャガーはローウェンスタインの財務マネジメント能力のみならず、マーガレット妃とも知り合いであるという彼の上流社会との幅広いコネクションを高く評価していた。

 

ローウェンスタイン自身、自分を「ミックの相棒」と呼んでおり、ミックがジェリー・ホールとの間にもうけた二人の息子の教父でもあった。 同時にキース・リチャーズともよい関係を保ち、ジャガー=リチャーズの絶え間ない競争関係のよい理解者だった。

 

それにもかかわらず、ローウェンスタインはストーンズの音楽のファンになったことは一度もなかった。1957年に結婚した夫人とのハネムーン先はドイツ・バイロイトで行われたワーグナー音楽祭だった、という人である。

 

また、ストーンズの乱れ切ったライフスタイルに加わることもなかった。コカインやジャックダニエルよりも「美味しいヴィンテージワイン」を好んだ。

 

「私はファンではなかった。だからこそ、ストーンズや彼らの創り出すものを冷静に、公平に、ときには臨床的に、また愛着を持ってしまうことなく、見ることが出来たのだ」

 

2008年、ローウェンスタインはストーンズのマネジメントから手を引いた。ローウェンスタインがストーンズにバンドとしての遺産を売却して、ツアーを続けるキャリアを終わらせることを提案したが、ストーンズ側がこれを拒否したことがきっかけだったという。

 

友好的な提携終了だと見られていたが、後にローウェンスタインが自伝を出版したときミックは「背信行為だ」と不快感を示したと言われている。

 

 

 

www.theguardian.com