キース・リチャーズ ディランの受賞やニューアルバムについて語る 「時々ミックのケツを蹴飛ばしてやる」
72歳にしていまだに「キース・リチャーズ」というキャラクターが崩れていない ― そう感じさせるキースの最新インタビューが「New York Post」に掲載された(Keith Richards on Mick Jagger, his mom and Bob Dylan’s Nobel Prize)。
このインタビューはニューヨークで開催中のローリング・ストーンズ回顧展「Exhibitionism」に合わせ、ミック・ジャガーやブライアン・ジョーンズと共同生活をしていた頃の話から始まる。
後半ではシェイクスピアまでこき下ろすような発言もしており、どうやらキースにはこの世で恐れるものは何もないようだ。
キース:俺たち(キース、ミック、ブライアン)は掘立小屋みたいなところに住んでいた。
お袋には助けてもらったよ。
俺たちみんなの洗濯をして、キレイになった服を送り返してくれたんだ。
ブライアンには子分のような何でもしてくれる奴がいた。
みんなその男にはひどい態度をとったが、彼は使い走りとして雑用をやってくれたんだ。
茶色の袋に洗濯物を入れて小包にし、その男に切手代を渡す。
彼はそれを郵便局に持って行き、その5日後には出来上がった洗濯物を受け取ってきてくれるんだ。
お袋はこうしてバンドに貢献していた。
あのころはお袋が第6のストーンズだったんだ!
俺とミックとブライアンはその部屋の中でレコードプレーヤーの前に座り、シカゴブルースやカントリブルースを何時間も聴いていた。
このミュージシャンが何を弾いているのか、どうやればこの演奏に近づけるのか、ということを何とかして解明しようとしていたんだ。
俺たちはブルースにのめり込み、理想を思い描き、そして愚か者だったんだ!
(ローレン・スコットがデザインしたミック・ジャガーのステージ衣装。「Exhibitionism」で展示されている)
【1960年代後半のインド哲学ブーム】
ブライアンもミックも、ビートルズとマハリシにすっかり熱をあげていた。
でも俺は遠巻きに見ていたし、チャーリーはそんなものクソとも思っていなかった。
けばけばしいインドの衣装を着て髭を生やし、愛だ、愛だ、愛だって話ばっかりしてやがった。
俺はマハリシはクソみたいなやつだと思っていた。
軽蔑していたよ。
ジョンとポールが哀れだ。
ポールとは今でも友達だがね。
あれは短期間の流行だったんだ。
俺はああいうことには興味がなかった。
「Gimme Shelter」を書くので忙しかったんだよ!
(キースが自分でペイントしたギター。「Exhibitionism」展示)
ボブに文学賞を与えるとは、ノーベル賞の人たちもずいぶん手広くやったと思ったね。
これで俺たちソングライターたちが初めて文学の世界に渋々ながら入ることになったんだ。
でもいいことだよ。 シェイクスピアなんていう野郎どもの仕事は、中世の吟遊詩人たちから歌詞を盗むことだったんだからな。
【最新アルバム『Blue and Lonesome』】
ストーンズは3日間で12曲を完成させた。
それがこのレコードに入っている。
エリック・クラプトンが隣のスタジオにいたから、あいつに演奏させた曲も入っている。
エリックは演奏を始める前からストーンズの一部だったよ。
俺たちがクラブで演奏していたときから、彼はストーンズの一番のファンの一人だったんだ。
このアルバムを聴けば、ミックがバンドの一部としてどれほど貢献しているか、そして彼がどんなミュージシャンであるかが分かるだろう。
彼はショーマン(show man)だから、本当の才能の多くが隠れたままになっているんだ。
しかしこのレコードではミックは自分を堂々と表に出している。
俺はいつもこの男を敬愛してきた。
時々あいつのケツを蹴り飛ばしてやる必要があるだけだ!
※「kick ass」は「罰を与える」または「やっつける」といった意味で使われる。