ポール・マッカートニーのルーツを探る 「カンザス・シティ」
ポール・マッカートニーが1988年に旧ソビエト連邦でリリースした『バック・イン・ザ・USSR』の一曲目は、ビートルズ時代にもカバーしていた「Kansas City」である。
もともとはロサンゼルス出身の二人の青年、ジェリー・リーバーとマイク・ストローラーによって書かれた。
この曲を書いたときは、二人ともカンザスには行ったことがなく、カンザス出身のブルース・シンガー、ビッグ・ジョー・ターナーの歌にインスパイアされて書いたものだという。
リーバーとストローラー二人は、リトル・ウィリー・リトルフィールドという歌手のためにこの曲を書き、リトルフィールドは1952年にレコーディングしている。
リリース後、一部では人気が出たものの、全米で受け入れられるほどヒットはしなかった。
1959年にR&Bシンガーのウィルバート・ハリスンがカバーバージョンを発表し、これがビルボードNo.1ヒットとなった。
しかしながらポールがビートルズ時代やソロでカバーしているのは、このバージョンではない。
このウィルバート・ハリスンのヒットの後、リトル・リチャードが「Hey, Hey, Hey, Hey」という曲をメドレーで追加したバージョンを発表した。
ポールのカバーしたのはこちらの「Kansas City/Hey, Hey, Hey, Hey」である。
ウィルバート・ハリスンの「カンザス・シティ」はNo.1になった一方、このリトル・リチャード・バージョンは大きなヒットにはなっていない。
それにもかかわらず、あえてリトル・リチャードのカバーをしたという事実は、ポール・マッカートニーがいかにリトル・リチャードの影響を受けていたかを表している。