エリック・クラプトンの "ザ・フール・ギター" の歴史を追いかける
エリック・クラプトンはこの通称「ザ・フール・ギター」を “サイケデリック・ファンタジー” と呼んでいた。
ザ・フール・ギターという名前が、このギターのデザインを担当した芸術家グループ「ザ・フール」にちなんでいるというのは有名な話である。
1967年始め、クリームのマネージャーだったロバート・スティグウッドがこのザ・フールに連絡してきた。
そのときクリームは全米ツアーを目前としており、スティグウッドはバンドの楽器や衣装のデザインを依頼してきたのである。
クラプトンのギブソンSGをペイントしたザ・フールのメンバーは、ほかにもジンジャー・ベイカーのドラムキットとジャック・ブルースの6弦ベース「フェンダー・ベースⅥ」もペイントしている。
しかしブルースは出来上がったペイントが気に入らず、ツアーでは演奏せずにTVパフォーマンスで使っただけだった。
“ザ・フール・ギター” は1967年3月25日、マンハッタン58番街にある「RKO」でのコンサートでで初めてお目見えした。
この日のショーにはクリームのほかザ・フーも登場したが、ヘッドライナーはそのどちらでもなく、ミッチ・ライダーというアメリカのミュージシャンだった。
【 "ザ・フール" の行方】
エリック・クラプトンが入手した経緯には諸説あり、そのうちの一説によるとこのギターはもともとジョージ・ハリスンが所有していた、ということになっている。
ジョージが「Day Tripper」で演奏しているのがこのギターであり、これが同じ時期にクリームの活動を始めたばかりのクラプトンの手に渡ったという。
ジョージがギブソンSGを演奏しなくなった時期と、クラプトンがギブソンSGを演奏し始めた時期が一致するらしいのだが、あくまでも一説にすぎず確認はされていない。
のちにこのギターはジャッキー・ロマックスというイギリスのミュージシャンの手に渡った。
ロマックスは1960年代に活躍したミュージシャンで、1967年にブライアン・エプスタインによってレコード契約を結んだ。
しかしその直後にエプスタインが急死したため、ビートルズのアップル・レコードがこれを引き継ぎ、ジョージ・ハリスンがロマックスのプロデュースを行った。
ここでもジョージが出てくるが、 “ザ・フール・ギター” はクラプトンからジョージをとおってロマックスの手に渡ったもといわれている。
さらにその後、このギターはトッド・ラングレンの手に渡った。
ラングレンは上述の1967年3月にクラプトンがマンハッタンのRKOでこのギターを初めて演奏したコンサートを観客席から観ていたらしい。
そして「魅惑されてしまった」とのちに語っている。
ラングレンはこのギターのために500ドルを支払った。
その上、塗装をきれいにしネックやヘッドの一部を取り替えるなど、数々の修復を行っている。
それでもほとんど使い物にならなかったため、ラングレンはザ・フール・ギターのレプリカ「サニー」というギターを特注した。
「Sunny」というのはクリームの「Sunshine of Your Love」からとった名前だという。
ラングレンは2000年に(レプリカ「サニー」ではなく)オリジナルのザ・フール・ギターをオークションにかけ、約15万ドルで競り落とされた。
そして売上の一部をクラプトンのクロスロード・センターに寄付している。
さらに数年後、今度は個人コレクターに約50万ドルで売却された。
【 "ザ・フール" に施された各種改造】
こうして過去半世紀にわたって複数の手に渡ってきたザ・フール・ギターには、これまでいくつか改造が施されている。
コントロールのノブがいくつか取り替え、またテールピースがトラピーズ・スタイルからストップ・テールピースに取り替えられた。
(クラプトンが演奏していたころはトラピーズ・スタイルのテールピースだった。)
またペグはもともとクルーソン型だったが、現在はグローバー型になっているという。
このギブソンSGは、一説によるとギブソンSGの1961年モデルであるとか、またはSGスペシャルモデルであるといった情報も流れているが、現在は1964年製のスタンダードモデルであるというのが最も有力な説となっている。
しかしながらザ・フールがペイントした際にシリアルナンバーが削り取られているらしく、今では正確な製造年月は分からない。
【ウーマン・トーン】
クラプトンは『Fresh Cream』以降レコーディングのほとんどでこのギターを使っており、とくに『Disraeli Gears』ではこのギターが主に使われていると言われている。
とはいえ、クリームが実際に活動したのは66年から68年にわたる1年半のみであり、事実上18か月だけのバンド活動で使われた "短命" のギターだった。
しかしこのギターは、エリック・クラプトンやクリームのみならず、1960年代後半のサイケデリック・カルチャーを象徴する存在として現在まで伝えられている。
それはこの独特なデザインだけが理由ではない。
いわゆる「ウーマン・トーン」と呼ばれている、クラプトンがこのギターで奏でたサウンドもまたこの時期のブリティッシュ・ロックを象徴しているからである。
クラプトンは「甘い音色がする・・・ギターというよりは人の声という感じだ」とこのギターのサウンドについて語っている。
1968年に行われたクリーム解散コンサートをとらえたドキュメンタリー・フィルムには当時のクラプトンのインタビューが収録されているが、そこで彼はこの「ウーマン・トーン」はトーンボタンを下げ、ヴォリュームボタンをフルに上げることでつくられる、と述べている。