ポール・マッカートニーがスティーヴィー・ワンダーと出会ったクラブ「スコッチ・オブ・セントジェームズ」
今から50年前の1966年2月3日、ポール・マッカートニーはロンドンのウェストミンスターにある「スコッチ・オブ・セントジェームズ」というクラブにいた。
そこではアメリカから来たモータウンの歌手が出演しており、彼の年齢はわずか15歳であった。
この写真は、その時のものであるといわれている。
【スコッチ・オブ・セントジェームズ】
1960年代のロンドンでナイトクラブといえば「アドリブ・クラブ」と呼ばれる有名な場所があった。
このアドリブ・クラブはビートルズやローリング・ストーンズ、またファッション・デザイナーのマリー・クワントなどが頻繁に訪れ、いわゆる「スウィンギング・ロンドン」のメッカとして知られていた場所であった。
しかし1965年7月に「スコッチ・オブ・セントジェームズ」がオープンすると、みんながこの新しいクラブに通い始めるようになった。
このクラブ内には、ビートルズやストーンズらには専用のテーブルが用意されていたといわれている。
他にもザ・フー、スペンサー・デイヴィス・クループ、ジ・アニマルズなど、当時を代表するブリティッシュ・ロックミュージシャンたちがこのクラブに頻繁に出入りしていた。
【すでに全米No.1ヒット歌手であったスティーヴィー・ワンダー】
スティーヴィー・ワンダーは1961年に11歳でモータウンとレコード契約をした早熟の天才であった。
翌62年には「モータウン・レビュー」のメンバーとして全米ツアーを行っている。
さらに翌63年にはライヴアルバム『The 12 Year Old Genius』のヒットに加え、シングルカットされた「Fingertips Pts. 1 & 2」も全米No.1を記録した。
この1963年はビートルズがイギリスで「Twist and Shout」「Please Mr. Postman」「You Really Got a Hold on Me」などのモータウン・ミュージックのカヴァーをリリースした年である。
彼らもスティーヴィー・ワンダー(当時のアーティスト名は「リトル・スティーヴィー・ワンダー」)のことは、当然知っていたはずである。
【若き天才二人の出会い】
1966年2月の時点でポール・マッカートニーは23歳、スティーヴィー・ワンダーは15歳。
年齢では8歳の違いがあるものの、ミュージシャンとしてのキャリアはほぼ同じ。
むしろ全米ヒットに関していえば、スティーヴィー・ワンダーのほうが「先輩」であった。
しかしこのイギリスに滞在中に音楽雑誌「NME」から受けたインタビューで、スティーヴィー・ワンダーはこう述べている。
僕はツアーに出ると、行った場所について文章を書くことになっているんです。
(アメリカに)戻ってから書く今回のツアーについての文章には、必ずポール・マッカートニーと会ったことを書きます。
彼とはスコッチ・オブ・セントジェームズで会いました。
彼はとてもスウィンギングな人でした。
私が会ったことのある唯一のビートルです。
むしろあこがれのビートルズのメンバーに会えた、という雰囲気すらうかがえる。
この16年後にこの二人がデュエットで世界的大ヒットを飛ばしたことは知られすぎているので、ここでは割愛する。
「Eony and Ivory」の後も、この二人のツーショットはしばしば目にする。
【その後のスコッチ・オブ・セントジェームズ】
スコッチ・オブ・セントジェームズは、1980年代まで経営され続けたが、その後閉店した。
しかし2012年に再開の話が持ち上がり、2013年に再オープンしている。
今ではステラ・マッカートニーがこのクラブでファッション・パーティーを開くことがあるという。