【エリック・クラプトン70歳】 2005年(60歳)のクラプトン
(http://www.whereseric.com/eric-clapton-news/303-cream-reunion-london-night-four)
【50代のエリック・クラプトン】
1995年から2004年の10年間でエリック・クラプトンは以下のアルバムをリリースしている(コンピレーション盤を除く)。
このうち、オリジナル曲を中心としたアルバムは『Pilgrim』(52歳)と『Reptile』(55歳)のみで、『One More Car, One More Rider』(57歳)はライヴ・アルバム、『Riding with the King』(55歳)はB. B. キングとの共演、『Me and Mr. Johnson』(59歳)はロバート・ジョンソンのカヴァー曲だけで占められている。
(注:カッコ内はリリース時のクラプトンの年齢)
50歳を目前にしてリリースした『From the Cradle』で、クラプトンは自身の原点であるブルースに立ち返る。そしてヒット曲を生み出すアーティストから、長年心に思い描いていたブルースシンガーとしてのスタイルに移行し、それを確立した。
そのような彼にとって、50代でのアルバム・リリースがそれまでと比べると少くなったのはごく自然の結果であり、一部のメディアが言うような、年齢のせいで創作意欲が衰えたなどという、消極的な理由ではないと思われる。
【クロスロード・ギター・フェスティヴァル】
アルバム・リリースの頻度が減る一方、40代まではやらなかったことを50代になって始めている。
1998年(53歳)、ドラッグやアルコール中毒者のためのリハビリ施設「Crossroads Centre」をカリブ諸島のアンティグアに設立した。
(注:病院経営者のリチャード・コントと共同設立。センターの持分のうち2/3をコント、1/3をクラプトンが保有している)
(http://crossroadsantigua.org/slideshow2/)
翌99年(54歳)、ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンで「クロスロード・ベネフィット・コンサート」として、この施設の資金集めを目的とした最初のコンサートを開いた。
これはあくまでもクラプトンによるチャリティ・コンサートで、ボブ・ディランらはゲストとして参加した。
(Bob Dylan completa 70 anos nesta terça-feira - Música - iG)
しかし5年後の2004年(59歳)には、これをギター・フェスティヴァルとして大々的に開催した。
テキサス州ダラスで3日間かけて行われ、B.B.キング、バディ・ガイ、ボー・ディドリー、J.J.ケイル、ジェフ・ベック、パット・メセニーなど、世界のトップ・ギタリストたちが一堂に会し、大成功を収めた。
【『Back Home』リリース】
60歳を迎えた2005年には、オリジナル曲を中心としたスタジオ・アルバム『Back Home』をリリースした。
全12曲中6曲がクラプトンによる(またはサイモン・クライミーとの共作の)オリジナルで占められている。
また、その年の始めにSMAPに提供した曲「Say What You Will」のセルフ・カヴァーや、4年前になくなったジョージ・ハリスンの「Love Comes to Everyone」が収録されていることなども話題となった。
比較的聞きやすく、ポップにアレンジされた曲が多かったため、硬派なギターサウンドを期待したファンの受けや、音楽雑誌などのアルバム・レビューではそこそこの評価にとどまった。
しかし売り上げは好調で、イギリスで19位、アメリカで13位、日本では4位を記録するヒットとなった。またクラプトン本人ではないが、このアルバムに携わったエンジニアが翌年のグラミー賞を受賞している。
【クリーム再結成】
しかし2005年で最も話題となったクラプトンの仕事は、やはりクリームの再結成であった。
(http://www.vanguardproductions.net/jackbruce/)
1968年11月26日にロンドンで最後のコンサートを行って以来、「Rock and Roll Hall of Fame」で一時的に3人で演奏したことはあるものの、本格的な再結成は初めてであった。
ロイヤル・アルバート・ホールでの4日間のコンサートは、チケットが一時間で売り切れた。
またロンドンでの成功を受け、ニューヨークでもライヴを行う。
この後もクリームとしてライヴ活動を続けるのではないか、という噂も流れたが、結局2005年10月26日のマジソン・スクエア・ガーデンでの公演が最後のコンサートとなった。
(http://www.whereseric.com/the-vault/biographies-band-members-and-collaborators/baker-ginger)
再結成が短期間で終わった理由については、憶測も含めていろいろな情報が流れているが、大きな理由のひとつはクラプトン以外の二人の健康状態が思わしくなかった、ということであった。
ジャック・ブルースは肝臓がんを発症しており、ジンジャー・ベイカーは関節炎を患っていたという。
【60代のエリック・クラプトン】
2005年から2014年までのクラプトンも、50代で確立したスタイルの発展と積み重ねである。
『Back Home』のようなオリジナル曲を中心としたアルバムはリリースしておらず、カヴァー曲で占めたアルバム『Clapton』(65歳)『Old Sock』(67歳)や、J.J.ケイルとの共演『The Road to Escondido』(61歳)などをリリースしてきた。
(注:カッコ内はリリース時のクラプトンの年齢)
一方で、「クロスロード・ギター・フェスティヴァル」は2007年、2010年、2013年と回数を重ねており、毎回世界のトップギタリストが集う一大イベントとなっている。
今のところ3年ごとに開催され続けており、クラプトンのライフワークの一つになっているようにも見える。
『The Road to Escondido』をリリースした2006年(61歳)のインタビューでクラプトンは、最近は曲を書かなくなったと言い、さらには、以前と比べるとギターの腕が衰えてきた、と言う主旨の発言をしている。
その一方、「みんなに自分の、そして音楽のルーツを知ってほしい」と語り、“伝道師”としての自分の役割を意識した発言もしているのである。
(インタービューはこちら↓)
事実、エリック・クラプトンをきっかけにロバート・ジョンソンやマディ・ウォーターズを聴きだした若いファンも多い。
(https://www.morrisonhotelgallery.com/photo/default.aspx?photographID=1725)
また「クロスロード・ギター・フェスティヴァル」では自分より年長のミュージシャンのみならず、ジョン・メイヤーなどの若手プレイヤーたちも積極的に招聘している。
アメリカの黒人による音楽であったブルースを自分自身の音楽とし、さらにそれを世界的に知らしめたのは、イギリスの白人であるエリック・クラプトンの大きな功績である。
2015年に70歳になったクラプトンには、ぜひ音楽活動を続け、ブルースを最後の日まで世界に伝えて欲しいと思う。
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