【和訳つき】 エリック・クラプトン 『The Road To Escondido』 リリース時のインタビュー
エリック・クラプトンが2006年にJ.J.ケイルと『The Road To Escondido』をリリースしたときに応じた、米CBSテレビのインタビュー。
90年代と比べてギターの腕が衰えた、という少々ショッキングな話から始まっている。
(以下、インタビューの内容)
YouTubeで自分の演奏を聴いて、もう今はかつてのように弾けないと思った。
自分の名前で検索してみたら、90年代半ばの映像で、ブルースを演奏しているのがあった。
おそらく無意識に自分から流れ出てきたような演奏だった。
その演奏を聴いて、これは今はもうできないと思ったよ。
今でもまだ、当時と同じくらいのフィーリングや感情などの表現はギターで出来るはずだ。
だが、技術的には(90年代半ばのやり方は)難しすぎる。
理屈で考えれば普通のことだ。
どんなものでも、だんだん衰えてゆくものだ。
ブルースのフィーリングは歳を取ってもずっと続けることができる。
私が子供のころ聴いていた音楽のヒーローたちも、みんな歳を取った人たちだった。
そういう意味では、私はラッキーだ。
歳をとっても続けられるからね。
『The Road To Escondido』について
最初からJ.J.ケイルとのデュエットをイメージしていたわけではない。
「クロスロード・ギター・フェスティヴァル」に来てくれたJ.J.ケイルに会ったとき、勇気を振り絞って「私とレコードを作りませんか」と聞いてみた。
J.J.ケイルがプロデュースして私が演奏する、そんな感じのイメージを抱いていた。
私はなぜか「No」の答えを想定していたんだが、J.J.ケイルは「Yes」と答えてくれたんだ。
そこで悩んでしまった。
さて、何をやろうか。
最近、私は曲を書かなくなっているからね。
しかしJ.J.ケイルが曲を書いてくれた。
9~10曲、もしかするとそれ以上用意してくれたと思う。
彼はそれを私にくれたのだ。
素晴らしいことだ。
私は、J.J.と一緒にスタジオに入り、J.J.がプロデュースして曲を録音していった。
しかし私はそこで考えた。
このレコードを買ってくれる人たちは、どのようにJ.J.ケイルがかかわったか分からないのではないか、と。
特にiTunesでダウンロードしてしまったら、クレジットなどがますます分かりづらいだろう。
だから私は、単に小さく「プロデュースド・バイ・J.J.ケイル」と書かれただけのエリック・クラプトンのアルバムにはしたくなかった。
そこでJ.J.ケイルに50:50のクレジットにしようと提案した。
最初は彼は乗り気じゃなかった。
しかし私は彼を説得し続け、最終的に「J.J.ケイル&エリック・クラプトン」ということでまとまった。
公平な扱いにするにはこういうやり方がよかったのだ。
二人が一緒に歌っているのを聴けば、そこに二人を組み合わせて出来上がった、もう一人別の人が歌っているように感じるだろう。
これはまるで魔法のようだと思う。
J.J.ケイルをこのような形でみんなに認識してもらいたいと望んでいるのは、私個人の希望だ。
こんなことを言うと横柄かも知れないが、私はみんなに音楽のルーツがどこにあるのか知ってほしいのだ。
私はJ.J.ケイルの作ってきた音楽を利用してきたわけではなく、ああいう音楽に仕えてきたと思っている。
私の音楽ではなく、J.J.ケイルらの作った音楽の歴史、J.J.ケイルの作ってきた音楽そのものを、みんなが知るべきだと思うのだ。
それがこのアルバムの役割なんだ。
「エスコンディードへの道」とはそういうことだ。
私がJ.J.のところ、つまり私のルーツへ訪れる、ということなんだ。