ジョージ・ハリスンが「Let It Roll」を書いた「サー・フランキー・クリスプ」とは?
ジョージ・ハリスンの『オール・シングズ・マスト・パス』に収録されている「Ballad of Sir Frankie Crisp (Let It Roll)」は、文字どおりサー・フランキー・クリスプという人物に捧げられており、またこの人物がジョージが住み続けた「フライアー・パーク」と呼ばれる建物の元のオーナーであったことはよく知られている。
ではこの「サー・フランキー・クリスプ」とは、どんな人物なのか?
調べてみると、いくつか興味深い点が発見された。
フランク・クリスプ。
1843年、ロンドン生まれ。
法律を学び、日本の司法/行政書士にあたる資格を取得し、数々の大きな案件をこなしていった。
彼のクライアントには当時の大日本帝国海軍も含まれていた、という記録も残っているらしい。
また顕微鏡を使った研究に熱中し、王立顕微鏡協会の会員としても活躍した。
1875年、クリスプはヘンリー・オン・テムズと呼ばれる場所にあるフライアー・パークを購入。
ここでは中世の庭園を模したガーデニングを楽しみ、それに関する本まで出版している。
クリスプは1919年に亡くなるまで、フライアー・パークに住み続けた。
クリスプの死後、この建物はローマ・カトリック教会に引き取られ、学校などの施設として使われていた。
しかし1960年代後半にはすでに使われなくなり、廃墟と化していたため、取り壊し計画が持ち上がっていた。
1970年1月、取り壊される寸前のフライアー・パークをジョージ・ハリスンが買い取る。
そしてジョージは元のオーナーに捧げるため「Let It Roll」を書き、その年に3枚組LPとしてリリースされた『オール・シングズ・マスト・パス』に収録された。
クリスプがジョージの曲に影響を与えているのは、この「Let It Roll」のみではない。
ジョージはフライアー・パークの暖炉に文字が彫り残されてあるのを発見した。
そこには:
Ding Dong, Ding Dong
Ring out the old, ring in the new
Ring out the false, ring in the true
と彫られてあった。
また別の場所には:
Yesterday, today was tomorrow
And tomorrow, today will be yesterday
と彫られていた。
ジョージはこれらのフレーズを用いて、「Ding Dong, Ding Dong」を書き、1974年にリリースされた『ダーク・ホース』に収録している。
(なお、ジョージは自伝の中で、このフレーズ自体はもともと英国の詩人テニソンの書いたものだと述べている)
さらにまた別の場所には:
Scan not a friend with a microscopic glass
You know his faults, now let his foibles pass
と記されていた。
このフレーズは「The Answer's at the End」に使われ、アルバム『エクストラ・テクスチャー』に収録されて1975年にリリースされている。
ジョージの哲学的、教訓的な歌詞は主にインド宗教に裏付けられたものが多いはずであるが、上記のように身近なイギリス人の残した言葉も、同じく重要な役割を果たしていたのである。