レス・ポール 生誕100年 その不屈の人生

 

レス・ポールは1915年6月9日に生まれた。今年で生誕100周年を迎える。

 

f:id:musique2013:20050107074531j:plain

 

【ロック・サウンドを可能にしたギター】

20代のころのレス・ポールは、シカゴのラジオに出演し演奏していた。そのころ弾いていたのはギブソンのアーチトップだったという。

 

 

f:id:musique2013:20150613131236j:plain

 

しかしレス・ポールは、この種のいわゆるエレアコ・サウンドに満足ができなかった。「ギターの問題点は、音量が十分ではないことだった」と後年のインタビューで語っている。

 

レス・ポールはニューヨークの自宅にこもり、ギターの開発に取り組み始めた。

 

そこで作られたのが有名な「ログ」ギターである。

 

f:id:musique2013:20150613131655j:plain

 

木材を加工してブリッジとネック、そしてピックアップを装着し、弦を張り付けた。さらに見た目を整えるために、エピフォンのボディを両端に取り付けている。

 

このギターによって、アンプを通して出された音がボディに反響することがなくなったため、フィードバックが発生しなくなった。

 

その後もレス・ポールはギターの改良に努め、その成果をレコーディングで発揮してきた。

 

このソリッド・ボディのギターがあってこそ、ロックンロールの音作りが可能になり、その後のロック・ミュージックの発展につながったのである。

 

ギブソンレス・ポール 

レス・ポールは自作のギターをギブソン社に持って行き、商品化を提案した。

 

しかし当時のギブソン社は、こともあろうかこの提案に見向きもしなかった。

 

そうしているうちに、フェンダー社がスクワイヤを開発・販売するようになり、ギブソン社はようやくレス・ポールの提案を取り込むようになったという。

 

1961年ごろになるとギブソンレス・ポールは徐々に販売数が落ちていった。そこでギブソン社は、レス・ポールの知らないところでどんどんギターデザインを変更してしまった。最終的に売り出されたのはこのモデルであった。

 

f:id:musique2013:20121204095049j:plain

 

現在「ギブソンSG」と呼ばれているこのギターが、1961年には「ギブソンレス・ポール」として発売されたのである。

 

しかしこのデザインに不満をおぼえたレス・ポール本人は、自分の名前を使わせることを止めさせ、その結果「ギブソン・ソリッド・ギター(SG)」と呼ばれるようになった。

 

現在「レス・ポール」と呼ばれているオリジナルのギターは、その後1960年代半ばにエリック・クラプトンが使用したことで、再び人気が出た。

 

f:id:musique2013:20150613141252j:plain

 

このころにはレス・ポールギブソンと和解し、再び「ギブソンレス・ポール」が正式に使われるようになった。

 

   

 

【マルチトラック・レコーディングによるオーヴァーダブ】

いわゆる「重ね録り」をレコーディングに取り入れたのも、レス・ポールであったと言われる。少なくとも最初にオーヴァーダブを使ったミュージシャンの一人であった。

 

1930年代、レコーディングの音にどうしても満足いかなかったレス・ポールは、当時一緒に仕事をしていたビング・クロスビーからもらったテープレコーダーを用いてマルチトラック録音のシステムを構築し、重ね録りを行った。

 

レス・ポールの代表曲「How High the Moon」でもヴォーカルが重ねらて録られており、当時としては画期的な音作りであった。

 

 

 

このようにレス・ポールという人物は、自分の目の前にある物事に対し満足がいかないと、自分で新しいものを造りだしてそれに応じてゆく人であった。

 

単に音楽を専業とするミュージシャンの枠を超えた、発明家・実業家的な側面があったのである。

 

【大きいピックと補聴器 

ギターの開発、録音技術の発展などもさることながら、もっと驚くべきことは、レス・ポールは事故が原因で右腕と聴力に障害を負っていたという事実である。

 

1948年、レス・ポールは自動車事故に遭い、右腕を複雑骨折した。

 

怪我の状態がひどく元の状態には戻せない、場合によっては切断を考える必要がある、という医師の診断であった。

 

何とか切断だけは免れたものの、ひじは90度で曲げられたまま伸ばせない状態となった。

 

この状態は生涯続き、晩年はこの後遺症で関節炎がひどくなった。最晩年には、右手は薬指と小指しか動かすことができなくなっていたといわてれる。

 

しかしレス・ポールは大きめのサイズのピックを用意し、ギターを弾き続けた。

 

そして死の数週間前まで、ステージでギターを弾いていたのである。

 

 

1969年には、友人の悪ふざけが原因で鼓膜を破るという事故があり、聴力障害と耳鳴りと言うミュージシャンとして致命的な障害を負うことになる。

 

しかしここでもレス・ポールは投げ出してしまうとなく、自分の力で克服を試みた。

 

自ら補聴器の開発に取り組んだのである。

 

既存のどの補聴器も人と話をする限りは問題ないものであったが、ギターのチューニングなどのレベルになると、機能的に不十分な製品ばかりであった。

 

自身で試作品をいくつも作ったが、結局亡くなるまで満足できる補聴器は完成しなかったようである。

 

レス・ポールの伝説】 

レス・ポールは2009年に94歳で亡くなるまで、多くのミュージシャンの尊敬を集めた。

 

f:id:musique2013:20150613175923j:plain

f:id:musique2013:20150613180151j:plain

 

 2007年にはドキュメンタリー映画『レス・ポールの伝説』が公開された。

そこに登場する豪華な面々は、まさにロックの歴史そのものであった。

 

 

彼は俺たちに最高のオモチャを与えてくれた。(キース・リチャーズ

 

ビートルズの初めてのギグはレス・ポールの「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」だった(ポール・マッカートニー

 

彼のレコードは傷だらけになるまで聴いた、聴こえなくなったら逆再生で聴いて研究した(ジェフ・ベック

 

彼は生きた伝説だ、オレのヒーローだよ(B.B.キング

 

彼がしてくれた事が無ければ、 自分は今していることの半分も出来なかった(エディ・ヴァン・ヘイレン

 

レス・ポールの伝説 [DVD]