ロン・ウッド ストーンズのツアー初参加から40年
1974年10月、ザ・ローリング・ストーンズは『It's Only Rock 'n Roll』をリリースした。
従来、ニューアルバムがリリースされるたびにツアーを行っていたストーンズだが、このときはツアーに出ず、またスタジオに戻ってそのまま次のアルバムのレコーディングに取り掛かることになっていた。
しかし12月、ミック・テイラーはバンドを脱退する。
(http://rollingstoned.tumblr.com/page/334)
いったんはクリスマス休みに入ったほかのメンバーは、翌75年1月に再び合流し、次のアルバムのレコーディングと並行して新しいギタリストのオーディションを行った。
ジェフ・ベック、ロリー・ギャラガー、ピーター・フランプトンなど、一流ギタリストがミック・テイラーの後任候補としてオーディションにのぞんだが、なかなか決まらず、ストーンズはそのまま4人のメンバーでアルバム製作を続けていた。
【『It's Only Rock 'n Roll』への参加】
1974年、フェイセズのギタリストであったロン・ウッドは、初のソロアルバム『I've Got My Own Album to Do』を製作し、9月にリリースした。
今でも幅広い交友で知られるロニーだが、この初のソロアルバムでもロッド・スチュワート、イアン・マクレガン、ケニー・ジョーンズらフェイセズのメンバーのほか、ジョージ・ハリスン、ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、そしてミック・テイラーなど、豪華なゲストたちと共演している。
このアルバムでの共演がきっかけで、ロニーは同時期にストーンズが製作していた『It's Only Rock'n Roll』のレコーディングに顔を出し、タイトルソング「It's Only Rock'n Roll」に参加した。
【“サポート・ミュージシャン”としてのツアー参加】
1974年12月のミック・テイラーの脱退は突然のことで、バンドのほかのメンバーたちにとっては寝耳に水であった。
予定通りニューアルバムのレコーディングに取り掛かったストーンズだが、後任ギタリストのオーディションを行いながらのスタジオ作業となったため、スケジュールは大幅に遅れた。
結局1975年のアルバムリリースは見送ることになり、代わりにコンピレーション・アルバム『Made in the Shade』をリリースすることで急場をしのいだ。
同時に始まった北米ツアーは、本来はニューアルバムを引っさげて行うはずであったが、結果としてこのコンピレーション・アルバムのプロモーションのような形になった。
さらにこの北米ツアー開始時では、ミック・テイラーの後任が決まっていなかった。
そこでストーンズは、ロン・ウッドに「サポートメンバー」としての参加を依頼し、ロニーもフェイセズのスケジュールと被らないことを確認したうえで、その依頼を受けた。
(http://rollingstonesofficial.tumblr.com/post/45844993525/the-rolling-stones-on-stage-in-1975)
これが1975年6月に開始された「Tour of the Americas '75」であった。
この当時のポスターには「featuring Billy Preston & Ron Wood」とあり、ロニーがまだメンバーではなかったことが分かる。
(http://www.fincharie.com/rolling%20stones%20pages/Concert%20Dates/RS1stMay31stAug75.htm)
【多忙な1975年】
ストーンズと北米ツアーに回っている最中の7月、2枚目のソロ・アルバム『Now Look』がリリースされている。
これは前年の『I've Got My Own Album to Do』のセッションでレコーディングしたものや、75年に入ってからレコーディングしたものをまとめて一枚に仕上げたアルバムである。このアルバムにもキース・リチャーズとミック・テイラーが参加している。
さらに8月にストーンズとのツアーを終えたロン・ウッドは、秋にはフェイセズに戻り、USツアーを行っている。
しかし、このときすでにフェイセズは分裂状態だったとも言われており、結局最後のツアーとなった。
1975年12月、フェイセズは解散。ロニーは正式にストーンズのメンバーとなった。
なお1月からストーンズがレコーディングしてきたニューアルバムは、翌76年、ロニーを迎えた新生ストーンズがようやく完成させ、4月に『Black and Blue』としてリリースされた。