【エリック・クラプトン70歳】 1985年(40歳)のクラプトン
(http://www.rankopedia.com/Best-Performance-at-Live-Aid-(JFK-Stadium)/Step1/23479/.htm)
【30代のエリック・クラプトン】
1975年から84年までの10年間で、エリック・クラプトンは以下のアルバムをリリースしている。
全体的な傾向として、ギターよりもヴォーカルが前面に押し出されたアルバム作りを続けている、というのがこの時期のクラプトン作品に対する一般的な評価である。
1974年の「I Shot the Sherriff」ほどのヒット曲はなかったものの、『Slowhand』(1977年)に収録された「Coccaine」「Wonderful Tonight」など、ソロシンガーとしての代表曲も生まれた。
その結果40歳になるころには一人のアーティストとして完成されたステイタスを築いおり、「元クリームのエリック・クラプトン」「『レイラ』で知られるエリック・クラプトン」などいう紹介は必要なくなっていた。
しかしながら、やはりレコード・レーベルのヒット曲を求める力は依然強く、トップアーティストとなったクラプトンでも従わざるを得ない状況に置かれていたようである。
【『Behind the Sun』リリースまで】
1984年、クラプトンはフィル・コリンズとセッションを行い、数々の曲をレコーディングした。
(http://www.oesquema.com.br/churrascogrego/tag/eric-clapton/)
プロデュースもフィル・コリンズが担当し一枚のアルバム用にまとめあげ、これを次のアルバムとしてワーナーブラザーズに届けた。
しかしワーナーは曲の差し替えを要求してきたのである。
1980年代に入り、クラプトンはレコードレーベルをポリドールからワーナーブラザーズへと移籍している。
ワーナーでの最初のリリースは『Money and Cigarettes』(1983年)であったが、このアルバムはゴールドディスクとならなかった。
それまで6年間ゴールドディスクが続いてきたクラプトンだが、移籍したとたんにアルバムセールスが落ちたため、次にリリースするアルバムが確実にヒット路線を行くことをワーナー側が求めたのである。
ワーナーはジェリー・リン・ウィリアムズの書いた曲を歌うように要求してきた。
(注:Jerry Lynn Williams (1948~2005)はアメリカのミュージシャン。クラプトンのほか、ボニー・レイットらにも曲を提供している )
クラプトンはこの要求を受け入れる一方、ウィリアムズの曲をフィル・コリンズがプロデュースしたオリジナルに混ぜるやり方でアルバムを完成させる、という案を出した。
結果「Forever Man」「Something's Happening」「See What Love Can Do」の3曲を、ジェリー・リン・ウィリアムズらとレコーディングし、プロデュースはテッド・テンプルトンとレニー・ウォロンカーが担当した。
実際ウィリアムズの提供した上記3曲はヒットシングルとなり、その意味ではレコード会社の読みは外れていなかったと言える。
またこの「Forever Man」のためにクラプトンは初めてプロモーション・ヴィデオを撮影している。
一方、フィル・コリンズがまとめ上げたアルバムの“オリジナル・ヴァージョン”へ無理やり別の人がプロデュースした3曲を押し込んだ形となったため、アルバム全体が統一感に欠けるとの評価もされた。
【『Behind the Sun』リリース後】
この年も精力的なライヴ活動を続けている。
『Behind the Sun』のリリースは1985年3月だが、それまではイギリスをはじめヨーロッパの数国をツアーでまわっていた。
4月からは全米ツアーを開始し、これが7月まで続く。
7月13日にはフィラデルフィアで行われた「ライヴ・エイド」にも出演。「White Room」「Layla」とともに『Behind the Sun』から「She's Waiting」を披露している。
またこの年も10月に来日し、6回のライブを行っている。前回の1981年以来4年ぶり、通算6回目の来日公演となった。
同じ10月にはイギリスに戻りツアーを開始し、12月までイタリアを含めたコンサートツアーを続けた。
【ブラッキーの“引退”】
上の「Forever Man」のプロモーション・ヴィデオでも演奏している「ブラッキー」がメイン・ギターとして最後に使われたのも1985年であった。
このギターはクラプトンが1973年の「Rainbow Concert」以来、使い続けてきたものである。
(http://www.rollingstone.com/music/pictures/20-iconic-guitars-20120523/eric-claptons-blackie-0504703)
しかし、この後もブラッキーが例外的に復活したことがあった。
1990年にホンダのコマーシャルに出演し「Bad Love」を歌う様子を撮影した際、ホンダからのリクエストでブラッキーを手にした。
また1991年にロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで、1曲だけブラッキーで演奏する場面があったと言われている。
出典:
http://www.allmusic.com/album/behind-the-sun-mw0000649979
http://www.whereseric.com/eric-clapton-tour/archive/1985
ベスト・オブ・エリック・クラプトン~フォーエヴァー・マン<ジャパン・デラックス・エディション>