ビートルズ 50年前の年越しはロンドンでクリスマス・ショー
今から半世紀前、ザ・ビートルズはすでに世界最高の人気を誇っていた。
1964年2月にアメリカ上陸を果たし、7月には映画『ア・ハード・デイズ・ナイト』を公開、同名のサントラ盤は全曲レノン=マッカートニーのオリジナル曲で占められており、文字通り自作自演ですべてを作り上げることができる「アーティスト」としての能力が開花していた。
しかしながら、世間の見方、さらにマネージメントやショービジネス界の彼らに対する取扱いは、まだ「アイドル・グループ」の域を出ていなかったようである。
【カヴァー曲が復活した『ビートルズ・フォー・セール』】
1964年12月4日、本国イギリスで4枚目のアルバム『ビートルズ・フォー・セール』がリリースされた。
前作『ア・ハード・デイズ・ナイト』は上記の通り全曲オリジナルで構成されていた一方、『フォー・セール』は14曲中6曲がカヴァー曲で占められていた。
1964年後半のビートルズのスケジュールは、殺人的なものであった。
7月に『ア・ハード・デイズ・ナイト』の映画公開とサントラ盤のリリースを行うと、8~9月には渡米しアメリカ・ツアーを行い、帰国すると今度は10~11月わたってイギリス・ツアーを行っている。
このような超多忙の中、ジョンとポールは作詞作曲を続けていたが、次のフル・アルバムに必要な14曲はまだそろっていなかった。
しかし、当時のレコード会社は一定のスピードで新作を出し続けることをビートルズに要求しており、前作から5ヶ月未満で次のアルバムをリリースしなければならなくなった。
このような無理な状況の中、結局は“穴埋め”のために昔のレパートリーから6曲を選んでレコーディングしたと見られている。
アルバム・タイトルの『Beatles for Sale』(ビートルズ売り出し中、売り払うためのビートルズ)というのも、こんなレコード会社の商業主義に対する彼らなりの皮肉であった、というのが今の定説である。
【ビートルズによるクリスマス・ショー】
その年のクリスマスは、「Another Beatles Christmas Show」と題された連続ライヴ・コンサートがロンドンで催された。
前年の1963年12月にも「The Beatles’ Christmas Show」と題された同様の連続ライヴ・コンサートが同じくロンドンで行われており、10万枚のチケットがソールドアウトになる大成功を収めていた。
マネージャーのブライアン・エプスタインは、人気の衰えを知らないビートルズにこの年も同様のことをやらせることにした。
期間は1964年12月24日から、年を越して1965年1月16日まで。12月25日と27日、1月3日と10日は休演日であったが、ほかの日はすべて公演が行われた。
また、初日の12月24日と29日は1日1ステージのみであったが、それ以外は1日2ステージ開催されている。
この催しにはビートルズ以外にもサポート・アクトが参加しており、その中にはヤードバーズも含まれていたという。
ヤードバーズらによる前座の後、ビートルズは自分たちの演奏を始める前に、特別な衣装に着替えてスケッチ(寸劇)をやらされている。
ビートルズのメンバーたちはこれを大変嫌っていたと言われており、その後一切このようなパフォーマンスは行わなくなった。
このショーのパンフレットにはジョンのイラストが使われていた。
セットリストは以下の通り。
全11曲。うち4曲はジョンのリード・ヴォーカルの曲であり、さらにポールといっしょに歌う「Baby's in Black」、一部をポールが担当する「A Hard Day's Night」を含めると、事実上半分以上がジョンのヴォーカルによる歌で占められている。
-
Twist and Shout
-
I'm a Loser
-
Baby's in Black
-
Everybody's Tryin' to Be My Baby
-
Can't Buy Me Love
-
Honey Don't
-
I Feel Fine
-
She's a Woman
-
A Hard Day's Night
-
Rock and Roll Music
-
Long Tall Sally
【その後のビートルズ】
このクリスマス・ショーの後は、4月までライブをした記録は残っていない。
この間ビートルズは2本目の映画『ヘルプ!』の撮影をしていた。
『ヘルプ!』公開後の1965年8月に再びツアーを始めたビートルズだが、結局1年後にはライヴ活動やめてしまうのである。