ボブ・ディランが「High Water」をささげたチャーリー・パットンについて調べてみた その1
ボブ・ディラン『Love and Theft』(2001年リリース)に収録されている「High Water (for Charley Patton)」。
このチャーリー・パットンとは一体どんな人物なのか調べてみたところ、いろいろ興味深い話が出てきた。
【デルタ・ブルースの父】
チャーリー・パットンは20世紀初頭に登場したアメリカのブルース・シンガーである。
ミシシッピー・デルタ地域が起源のブルース・スタイル「デルタ・ブルース」の象徴的存在で「デルタ・ブルースの父」と呼ばれている。
パットンの作った音楽の影響は、直接的には彼の周りのブルース・ミュージシャンたちに及んだだけであった。
しかしその周りのミュージシャンたちとは、ジョン・リー・フッカー、ハウリン・ウルフ、ロバート・ジョンソンたちであり、彼らがのちのロック・ミュージックに多大な影響を与えていることを考えると、見方によっては20世紀アメリカ音楽の「開祖」と見なすこともできる。
【謎めいた人物像】
このチャーリー・パットンの人物像には、いろいろ謎があるようだ。
名前のつづりが珍しい。
普通は「Charlie」とつづる名前だが、なぜか「Charley Patton」とされている。
理由は知られていないが、パットン本人は「Charlie」と署名していたらしい。
19世紀終盤、戸籍制度などが整っていないところで誕生しているため、パットンの生まれた年も定かではないようだ。
1887年から1894年の間に生まれていることだけは分かっているようだが、おそらく1891年生まれという説が最も有力である。
また、彼の人種もはっきりしていない。
黒人ブルース・ミュージシャンとされているが、実の父親に育てられていないといわれ、肌の色も薄く、顔の骨格も白人に近かった。
そのため、メキシコ系、もしくはインディアンの末裔という説もあるようだ。
ちなみに彼の写真はこの一枚しか残されていない。
【ミュージシャンとしての成功】
パットンは1900年、同じミシシッピー州内の広大なプランテーション農場に移る。
ここでのちにデルタ・ブルースに貢献する数々のミュージシャンと知り合い、彼らはパットンの演奏能力に大きな影響を受けた。
パットンは19歳になるころにはすでにミュージシャンとして認められており、自分で作詞・作曲もしていた。
どのような種類のブルースも弾きこなしたと言われ、アメリカ南部で大きな人気を得るようになり、シカゴでは毎年コンサートをしていた。
パフォーマーとしても一流で、一説によると彼はギターを背中に回して演奏したり、頭の上にのせて演奏していたらしい。
当たり前だが、ジミ・ヘンドリックスが登場する何十年も前のことである。
1934年にはニューヨークでも演奏しているが、この年の4月、心臓疾患で死去。
1891年生まれであれば、43歳でこの世を去ったことになる。