監督D・A・ペネベイカーが語るボブ・ディランと『Dont Look Back』 「この男は自分自身を生み出そうとしている」

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D・A・ペネベイカーは1925年7月生まれ。今年で91歳。

現在でもコンスタントに作品を発表し続けており、最新作は『Unlocking the Cage』という動物福祉をテーマとしたドキュメンタリー映画で、2016年1月に公開された。

 

彼が監督を務めたボブ・ディランの『Dont Look Back』はすでに半世紀前の作品になる。

以下は、この歴史的仕事を成し遂げた監督が当時の様子を語っているインタビューである(2016年5月、New York Times紙に掲載「No Direction, No Restriction D.A. Pennebaker Looks Back at a Dylan Documentary」)。

 

 

Q. この映画撮影についてどのように依頼を受けたのですか?

A. アルバートグロスマン(ディランのマネージャー)が私のオフィスを訪れた。彼はディランが間もなく出発する予定の英国ツアーに同行する気があるかどうか聞いてきたのだ。私はそれまでミュージシャンといっしょにツアーを回ったことはなかったから、興味深いアイデアだと思った。ぜひとも、と私はオファーを受けた。こんな簡単な始まりだったよ。

 

Q. ボブ・ディランや彼の音楽についてよく知っていましたか?

A. ディランが後に結婚する相手(ディランの最初の妻、サラのこと)は個人的に知っていた。彼女は私たちのところでしばらく働いていたのだ。しかしディランについてはほとんど知らなかった。彼が歌った歌はラジオで聞いたことがあったかもしれない。私はミュージシャンというものは現代の聖人だといつも思っていた。音楽のために生きる。彼らはそれ以外は何にも興味を持っていない。

 

Q. 撮影を始める前に彼についてリサーチしたのですか?

A. やらなかった。この種の撮影というのは撮影自体がリサーチになる。目の前に訪れることすべてをとらえるだから、事前調査などすることはない。自分の周りで起きていることを観察する、そうやって学んでいくものだ。

 

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Q. ディランと事前に打ち合わせをしましたか?

A. ディランとは、彼のロード・マネージャーだったボビー・ニューワースといっしょにグリニッジ・ヴィレッジにあるバーで会った。座って話をしていると、彼が「映画のためにアイデアがある」という。「紙の束を持ってそこに歌の歌詞を書き、歌にあわせてその歌詞の紙を持ち、それを投げ捨てる」と言うものだった。私は「それは素晴らしいアイデアだ」といった。そこで私たちは50枚ほどのボール紙を用意した。このようにしてあの路地での撮影が行われたのだ。

 

Q. ディランがイギリスに到着すると、ファンの群集や警官たちが彼を出迎えましたが、その様子を見てどう思いましたか?

A. 特にその様子については何とも思わなかった。アルバート(・グロスマン)からは、映画はディランのツアーのプロモーションとして製作するように依頼されていたと思う。ディランが人々と話す様子を聴いていると、その話し方にとても触発された。彼の言葉の使い方だ。彼は、私たちがハイスクールで学ぶのと同じ言葉、同じ言語で話す。しかし微妙に異なる使い方をする。私は彼の持つバイロン的資質に触発されたのだ。私は音楽映画は作らないようにしようと決心した。この人物についての映画を作ろうと思ったのだ。今となっては何年も前のことだが、人々は彼がどんな感じの人なのかを知りたいだろうと私は思った。

 

Q. ディランの様子を見て、これは生涯に一度会えるか会えないかの芸術家だと思いましたか?

A. いいや、そんな風には全く思わなかった。私が考えたのは、この男は自分自身を生み出そうとしている、ということだった。彼は自分が誰であるか、何をやりたいのかを理解しようとしていた。だから私は彼が人に話したり、人の話を聴いたりしているところを撮影したのだ。コンサートの場面については一部しか撮影しなかった。この映画を音楽映画にしたくなかった。自分が誰であるかを発見しようとしている人物についての映画にしたかったのだ。

 

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Q. この映画の中でのディランの振る舞いを目にした人たちの中には、彼がとても無作法な人だと思った人もいました。

A. ああ、そうだった。その通りだ。映画のあと、人によってはディランはどうしようもない奴だと思った人もいたし、また興味深い奴だと思った人もいた。記者たちは、ロンドンに到着したこの人物についての記事を書くために派遣された。しかし彼らはディランのことをあまり知らなかった。あくまで時間の問題で、ディランの感覚で言えば「ブタに真珠」だったのだ。もし記者たちがディランが誰で、なぜ彼はあんな様子なのかを知らないのなら、彼らに説明してやることなど何もない、と思っていたのだ。あたかも誤った認識から生じる喜劇のようなものとして記者たちと話していた。私はそう理解した。

 

Q. 有名なオープニングの「Subterranean Homesick Blues」の場面はどのように撮影したのですか?

A. 最初はホテルの庭で撮影しようとした。すると警官がやってきて私をつかまえ、やめるよう指示した。そこで警官のやって来ない裏道に移動し、ディランの前でテープレコーダーを再生し、一回だけ撮影した。歌詞の書いてある紙は前の夜にドノヴァンといっしょに作っておいた。ドノヴァンもジョーン・バエズも、とても優れた芸術家だった。他にも撮影をしたと思うが、思い出せないな(笑)。

 

Q. ディランやグロスマンがあなたをツアーに同行させ撮影を許可したことについて後悔していたようなときはありましたか?

A. それはなかった。彼らは私にそれほど注意を払っていなかった。私はこのホームメードのカメラを肩にかついでいるだけで、彼には何も質問しなかった。誰にもインタビューはしていない。ふつう映画製作者は人を煩わせてしまうものだが、私はそのようなかたちで人を煩わせたことは一度もないと言っていいだろう。

 

 

 

Q. 『Dont Look Back』のあと、あなたとディランはどのように仕事関係を続けてきたのですか?

A. この映画が完成したあと、配給がとても大変だった。配給会社はこの映画が安っぽい出来上がりになっていると言い出したのだ。そのため自分たちで配給をする必要があった。翌年、ディランは私のところにやってきて「自分が監督をして映画を作りたい。そこであなたに撮影をして欲しいんだ」と言ってきた。私はOKと答えた。そしてザ・バンドとのツアーに同行した。ディランは私よりも監督のしかたを知らなかった。その映画(『Eat the Document』)は基本的には『Dont Look Back』の続編だが、ディランの作品だ。まるでエブラハム・リンカーンが映画を作ったようだった―みんながこの映画を観に出かけたんだ。この映画がどれほど良いか、またはどれだけ悪いかなどは関係なかった。

※『Eat the Document』は1966年のイギリス・ツアーをとらえたドキュメンタリー映画。同年のディランのバイク事故のため編集に時間がかかり、リリースされたのは1972年。なおこのインタビューでは「ザ・バンド」と言っているが、1966年当時は「ザ・ホークス」というバンド名だった。

 

Q. その映画はどうなったのですか?

A. しばらく上映されたが、きわめて短期間だった。しばらくするとディランはもうやめようと考え、上映されなくなった。結局、撮影されたシーンの多くがマーティン・スコセッシの手に渡り、映画(『No Direction Home』)に使われることになった。あれ(『No Direction Home』)はいい映画だと私は思ったよ。一方ディランの映画(『Eat the Document』)は未だに倉庫に入ったままで、出されるのを待ち続けている状態だ。いつか出てくるのかもしれない。しかしこれは私が関わることではない。あれはディランの映画だ。中には素晴らしい場面も含まれているので、映画が出来上がったのは嬉しかった。しかし今はどこかの引き出しにしまいこまれていて、日の目を見るのを待っている状態だ。

 

Q. いまディラン本人や映画をあらためて観て、撮影時のときと何か違うことはありますか?

A. いいや、今観ても当時私が見たとおりのもだと思う。ディランと言う人は、私にとっては今でもとても興味深い人物だ。それは人々が今でも彼に魅惑されているからだ。彼はセレブたちの世界で強力な存在感を放っているわけではない。みんなが彼のことを知っていて、みんなそれぞれが自分にとってのディランを心に抱いている。それは衰えてしまうことがない。不朽の存在であるということ自体が人々をひきつけるのだ。なぜなら存在感が永続する人というのは多くないからだ。この人物こそ現代のエブラハム・リンカーンになるだろうと多くの人が思った人でさえ、結局いなくなってしまう。一方ディランは今でも存在する。私は彼は以前の彼とほとんど同じだと思う。

 

 

 

Q. ディランがメディアから遠ざかってしまう前に、彼に密着できる機会が与えられたのはラッキーだったと思いますか?

A. ああ、そうだね。いろいろなことについてそう思うよ。私の人生は幸運に恵まれていた。デヴィッド・ボウイ(『Ziggy Stardust and the Spiders From Mars』)とは、始めは映画を作る予定はなかった。しかし彼に会ったその瞬間、「この男と映画を作ろう」と思ったのだ。何らかのチャンスが訪れたら、それを掴まなくてはいけない。ためらってはダメだ。じっくり待って何が起こるか見守っているようではいけない。

※『Ziggy Stardust and the Spiders From Mars』はデヴィッド・ボウイが1973年にロンドンで行ったコンサートをおさめたドキュメンタリー映画。D・A・ペネベイカーが監督を務めた。

 

Q. 気難しいことで知られる現代のポップスターたち―たとえばカニエ・ウェストジャスティン・ビーバーなど―を見て、あなたの映画が示すように、彼らが舞台裏ではもっとずる賢いという可能性はあるでしょうか?

A. それは分からない。彼らの生活に入り込んで、時間を共にする必要がある。詩人たちは特別な人種で、彼らがどこから生まれてくるのか私には分からない。若い頃、私は芸術家と言うのは絵を描ける人たちのことだと常に考えていたが、そうではない。芸術家とは、支配されずに生きる人たちのことだ。つまり、彼らは自分自身以外の誰に対しても忠誠心を持たない。それが本当の芸術家というものだ。もしそういうスタイルを現代社会で貫くとすると、誰のためにも働かないということになってしまう。すなわち、生活に困窮し、家賃を支払うのに苦労することになるのだよ。

 

Q. 『Dont Look Back』の撮影時の思い出の品など何か残っていますか?「Subterranean Homesick Blues」の歌詞カードとか?

A. ないね。屋上で第二テイクを撮影したが、ひどい強風で歌詞を書いた紙はロンドン市内に飛んで行ってしまったと思うよ。そのあと目にすることはなかった。カメラ以外何も取っておかなかった。今はフィルムを現像する人もいないから、あのカメラも役立たずだな。