ボブ・ディラン 1965年英国ツアーと「Like a Rolling Stone」

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今から50年前、ボブ・ディランはまさにロックの歴史を創っている最中であった。

 

1965年4月、ディランはイギリスに渡り、シェフィールドから全英ツアーを開始した。

 

翌5月の始めにかけてリヴァプール、レスター、バーミンガムニューキャッスルマンチェスター、そしてロンドンと全7か所で8日間(ロンドンで2日、他は1日ずつ)にわたりコンサートを行っている。

 

このライヴのセットリストは以下の通りであった。

 

(第一部)

1."The Times They Are a-Changin'"

2."To Ramona"

3."Gates of Eden"

4."If You Gotta Go, Go Now (or Else You Got to Stay All Night)"

5."It's Alright, Ma (I'm Only Bleeding)"

6."Love Minus Zero/No Limit"

7."Mr. Tambourine Man"

 

(第二部)

1."Talkin' World War III Blues"

2."Don't Think Twice, It's All Right"

3."With God on Our Side"

4."She Belongs to Me"

5."It Ain't Me Babe"

6."The Lonesome Death of Hattie Carroll"

7."All I Really Want to Do"

8."It's All Over Now, Baby Blue"  

 

いわゆる初期の名曲がずらりと並んだセットリストになっているが、このツアーでのコンサートは、ディランのキャリアの中で、全曲アコースティック、かつ全曲ソロによる最後のコンサートとなった。

 

つまりこの後のライヴでは、現在に至るまで、コンサートの全部または一部にバックバンドが登場し、共にエレキサウンドをメインに演奏するようになるのである。

 

【『Dont Look Back』】

このツアーにはアメリカのドキュメンタリー映像作家D・A・ペネベイカーが同行しており、彼によって撮影された映像は2年後に『Dont Look Back』として公開される。

 

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ジャズ歌手デイヴ・ランバートのドキュメンタリーなどですでに評価を得ていたペネベイカーは、当時ディランのマネージャーであったアルバート・グロスマンからの依頼でこの仕事を引き受けた。

 

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当時ペネベイカーは、ディランのことをほとんど知らなかったといわれている。

 

しかし、ディラン本人をよく知らないがゆえのストレートでシンプルなアプローチが功を奏したのだろうか、このドキュメンタリーはロックの歴史に残る映像作品となった。

 

通常ドキュメンタリー映像には状況説明の字幕やナレーション、または監督による本人へのインタビューなどが入るものだが、この映画にはそういったものは全く含まれておらず、当時としては斬新な方法であった。

 

また、この映画の中でディランが唯一打ち合わせ通りに“演技”しているのはオープニングにかかる「Subterranean Homesick Blues」のミュージック・ビデオだが、これが後のミュージック・ビデオに大きな影響を与えたのはよく知られていることである。

 

 

 

歴史に残った理由はこれだけではない。

 

この映画に現れるディランこそ、アコースティック・パフォーマーとしての最後のディランの姿なのである。

 

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後のインタビューでペネベイカーは「まさかあの時がディランのアコースティック・ミュージシャンとしての最後のツアーだとは思わなかった」と語っている。

 

これはペネベイカーのみならず、周りにいた人のほとんどが想像していなかっただろうといわれている。

 

しかしその兆候はすでに表れていた。

 

この年(1965年)の3月には5枚目のスタジオアルバム『Bringing It All Back Home』をリリースしているが、そのA面は全曲バックバンドを従えたエレキサウンドになっていた。

 

 

 

4~5月の英国ツアーのセットリスト(上記)を見てても、このアルバムのA面からは「She Belongs to Me」と「Love Minus Zero/No Limit」というアコースティック・ソロで歌える曲に限られている。

 

また、このツアーにはジョーン・バエズも同行していた。

 

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かつてはともにステージに立っていた二人だが、このツアーでは一度も一緒にステージに上がることはなかったという。

 

従来のフォーク・ミュージック路線を進み続けていたバエズと、自分がこれから進もうとしている路線の違いをすでに感じていたに違いない。

 

【「吐き出した」10ページ分の言葉】

『Dont Look Back』の中でもその様子が見られるが、このツアーの最中、ディランは文章や詩などをタイプライターで書きまくった。

 

 

 

ディランはそれを「吐き出したもの」と呼んでいる。

 

後に「Like a Rolling Stone」となる歌詞も、この時に書き綴った言葉の数々がもとであるという。

 

結局10ページの長さになった。

その時は別に何ものでもなかった。

自分の心にいつもあった憎しみの感情をリズムに乗せて書きつけただけだった。

書き終ってみると、憎しみというより、誰かほかに人に対して、その人の気づいていないことを指摘し「あなたはラッキーだよ」と伝えるような内容になった。

「復讐」と言うのが正しい言い方かもしれない。

あれが曲になるとは全く思わなかった。

でもある日ピアノに向かっているとき、あの紙に書いた「How does it feel?」というフレーズをすごくゆっくり歌ってみたのだ。

 

また他のインタビューでディランは、この1965年4~5月のイギリス・ツアーの最中に、もう引退したいと思っていたとも語っている。

 

しかしこのような歌を書けることが分かり、自分のキャリアをどう進めてゆけばいいか悟った、と述べている。

 

ディランはまずこの「吐き出しもの」をウッドストックの自宅で一曲の歌として仕上げた。そして1965年6月15~16日にかけてコロンビアレコードの「スタジオA」で「Like a Rolling Stone」としてレコーディングした。

 

ロックの歴史に残る名曲の誕生である。