ボブ・ディラン with トム・ペティ&ザ・ハートブレーカーズ 来日公演から30年 「キャリアのどん底にいた」
ボブ・ディランは2016年4月、丸々一か月日本に滞在し、全16公演を行う。
そのディランは、今からちょうど30年前の1986年3月にも日本にいた。
トム・ペティ&ザ・ハートブレーカーズとともに「True Confessions Tour」を行っている最中で、日本にも立ち寄り4回のコンサートを行った。
【ファーム・エイド】
1985年9月、ウィリー・ネルソンらの主導のもとアメリカの農業支援を目的としたベネフィット・コンサートが開催された。
このチャリティは、その2か月前に開催された「ライヴ・エイド」に出演したボブ・ディランが、「今日集められた資金の一部が、借入金返済に困っている農家への援助に回されることを願っている」という趣旨のコメントをしたことがきっかけで行われることになったものである。
そもそもライヴ・エイド自体はアフリカの飢餓救済を目的としたコンサートであったため、そのステージ上で上記のような発言をすることについては、主催者のボブ・ゲルドフも批判をためらわなかった。
しかしゲルドフはまた「あのコメントによってファーム・エイドが開催されることになった」として、それ自体は良いことだとも語っている。
このようなきっかけで始まったファーム・エイドであったが、チャリティ・イベントとして大成功を収め、900万ドルの資金を集めることになった。
このイベントでディランはトム・ペティ&ザ・ハートブレーカーズと共演して意気投合し、その結果翌年のツアーはすぐに計画されたと言われている。
【両極端な状態の二人のアーティスト】
2005年のインタビューでトム・ペティはこう語っている。
「ボブとは演奏なんかできない、彼は気まぐれすぎる、と人が言っているのを聞いたことがあった。でもそんなことはなかった。彼はプロフェッショナルだったよ。どの公演でも、観客はコンサート全体にわたって信じられないほど恍惚としていた」。
一方ディランは2004年に出版した『自伝』で、当時を振り返ってこう語っている。
「どんなインスピレーションともつながりを感じなかった。何を始めようとしてもすべて小さくなって消えてしまった。トムは彼のキャリアのピークにいて、私は自分のキャリアのどん底にいたのだ」
「私の心には、うつろな歌声が響いていた。すぐにでも引退して自分のテントを片付けたかった」
「私は、いわゆる最盛期を過ぎた存在だったのだ」
同じステージに立っていた二人のアーティストは、それぞれ両極端の状態であったようである。
【オーストラリア~日本】
このツアーはニュージーランドのウェリントンで1986年2月5日に幕を開け、ニュージーランドで2公演、オーストラリアで13公演を行った。
シドニーでは2月24日、25日に公演を行っているが、ここではプロのカメラクルーを迎え入れその時の様子を撮影させている。
この時の映像は後にアメリカのケーブルTV放送局であるHBOで放映されたが、DVDなどでの公式リリースはされてない。
3月1日のブリスベン公演でオーストラリアのツアーは終了し、そのままディラン一行は来日する。
日本公演の日程は以下の通り。
3月5日 日本武道館
3月6日 大阪城ホール
3月8日 愛知県立体育館
3月10日 日本武道館
セットリストはボブ・ディランの公式サイトで見ることができる。
March 5, 1986 Tokyo, Japan | The Official Bob Dylan Site
【ディランとトム・ペティ】
日本公演を終えた後、5月まで休暇を取ったディランたちはアメリカでツアーを開始する。
カナダのバンクーバーでの1公演を含めた北米ツアーは全41公演におよび、8月6日のカリフォルニア公演でこのツアーは幕を閉じた。
ディランとトム・ペティ&ザ・ハートブレーカーズはここでいったん共演をやめるが、翌87年には再び「Temples in Flames Tour」と題して共にツアーを行い、イスラエルとヨーロッパ各国で全30公演を行っている。
その翌年(1988年)からのディランは、いわゆる「Never Ending Tour」をスタートして今日に至る。
その後も、1992年(リリースは93年)の『30周年記念コンサート』やトラヴェリング・ウィルベリーズでトム・ペティと共演しているのはよく知られているところである。