「ジョンはどこかおかしい」『サージェント・ペパーズ』のジャケットをデザインしたジャン・ハワースのインタビュー

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『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』の有名なアルバムジャケットはイギリスのポップアーティストであるピーター・ブレイクがデザインした、というのは有名な話である。 しかし当時ブレイクの妻であったジャン・ハワースが共同で制作に関わっているにも関わらず、彼女の名前はほとんど挙がってこないような気がする。

 

以下は2017年にこのアルバムの50周年を目前にして行われたハワースのインタビュー(Beatles Sgt Pepper’s Lonely Hearts Club Band: The story behind the most iconic album cover | Music | Entertainment | Express.co.uk)。現場にいた人ならではの細かい様子や、私たちがふだん聞いているビートルズのエピソードとは少し違う話も出てくる。

 

中にはジョンやポールについて明らかに好意的ではない発言もあり、興味深い。

 

アルバムのアイデア

あのアルバムジャケットが象徴的な存在となり、これほど長い間ポップカルチャーの中に位置を占めるとは想像もしませんでした。

 

しかしこの長い間、ずっと誤って言い伝えられてきた話もたくさんあります。ビートルズの記憶が必ずしも一番正確だとは限らないのです。

 

彼らがレコーディングをしているスタジオに行くと、ポール・マッカートニービートルズの考えたデザインを見せてくれました。それは「イエロー・サブマリン」スタイルのアニメっぽい絵で、小人たちでいっぱいの山の上に飛行機が飛んでいるというものでした。ポールはそれを気に入っおらず、私たちにアイデアを求めてきたのです。

 

最近になってポールは、多くの人の前にバンドが立っている絵を彼がスケッチして私たちに見せたと言っていますが、実際は彼は大したアイデアを持ってはいませんでした。

 

ジョン・レノンが書いた別のスケッチがあり、オークションにかけられましたが、あれも私たちがアルバムジャケットをデザインしたあとに彼が描いたものなのです。私たちが最後に付け加えた細かい細部までジョンのスケッチには描かれていますから。

 

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最前列をビートルズとともに立体的にし、彼らの後ろには私が作った布製の等身大マネキンを置き、さらにその後ろには有名人・著名人たちの顔でいっぱいの平らなフレームを置く、というのは私のアイデアでした。

 

登場する人の選択

私たちは少なくとも70人の有名人たちを置きたいと思っていて、ビートルズに彼らの憧れの人をリストアップするように頼んだのです。しかしポールとジョンを合わせても20人しか出てきませんでした。

 

ジョージ・ハリスンは数人のインドの教祖たちを挙げてくれたので、彼らを取り入れることにしました。リンゴ・スターが選んだ人はミュージックホールのアーティストだったイッシー・ボンでした。もう一人選んでくれましたが、結局ジャケットには載りませんでした。

 

ジョンがアドルフ・ヒトラーを選んだのですが、これは挑発的である以上にひどいチョイスだと思いました。彼が何を考えていたのかまったく分かりません。ジョンはどこかおかしいんだと思います。ヒトラーは使わないことにしました。

 

オカルト作家アレイスター・クロウリーのチョイスも私はイヤな気分になりました。オカルトは好きではありませんが、クロウリーはジャケットに載ることになりました。

 

ジョンはガンディーとイエス・キリストも載せたがっていました。しかしキリストを載せるのは冒涜行為に見えますし、ガンディーはビートルズのマネジメント側がインドでのアルバムセールスに影響があるとして却下しました。

 

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思い返してみると、71名の著名な人物たちのうち、ビートルズが選んだ女性は一人も入っていないことにゾッとします。ピーターと私が12人の女性を付け加えましたが、そのうちシャーリー・テンプルが3人分を占めているのです。その他はメイ・ウェストやダイアナ・ドースといったピンナップガール、モデル、ブロンド美女だけです。

 

もし今このジャケットをつくるとしたら、こんな不平等は決して許されないでしょう。これは一部分は私の間違いでした。私に責任があります。もっと認識をしっかりしておくべきだったのです。

 

空の色は黒にするべきだった

アルバムジャケットのデザインをしているとき、ポールが私たちの家を訪れてきました。私は「BEATLES」を花で書くとこんな感じなる、というスケッチを彼に見せました。ポールはアイデアを気に入ってくれてたので、私たちはシクラメンのような小さい花を使う予定でした。しかし花屋が実際に持ってきたのはひどいヒヤシンスで、すべてひょろ長いものだったんです。

 

スタジオでこのセットを組み立てるのにほぼ2週間かかりました。この撮影をしたマイケル・クーパーのスタジオで行われたのです。

 

まず著名人たちの顔をモノクロ写真でプリントし、ボードに貼り付け、切り抜き、後ろのつい立てに固定します。色付けは私が自分の手でやりました。タイロン・パワーから色を塗り始めたのですが、ドナルド・トランプのようにオレンジ色になってしまったので、その後は色を薄くしていったんです。

 

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(トランプ色のタイロン・パワー

最後の段階になって、マダムタッソー蠟人形館がビートルズの蝋人形4体を貸してくれることになりました。他にもダイアナ・ドース、HGウェルズ、TEロレンス、ソニー・リストンの蝋人形も貸してもらえました。

 

ポールは私たちを車に乗せ、泣き叫ぶファンの間を走り、彼の自宅に連れて行ってくれました。そこでアルバムの数曲を聴かせてくれたのです。そのとき「Lucy In The Sky With Diamonds」を聴かせてくれていたらよかったのに、と思います。そうすれば空の色を青ではなく黒に塗ったでしょう。

 

このアルバムが好きではない

撮影が終わると、このセットはそのまま廃棄されてしまいました。私たちはこれがロックの歴史の一部になるなどとはまったく思わなかったのです。

 

誰かが「Sgt Pepper’s Lonely Hearts Club Band」と書かれたバスドラムのヘッドを持っていったようです。作ったときは25ポンドかかりましたが、のちに100万ドルで売られていました。

 

皮肉なことですが、私はこのアルバムが好きではありません。ちょっと甘ったるくてメロディアス過ぎるのです。私はいつもザ・フーのほうが好きでした。今でも「Sgt Pepper’s」がラジオから流れると、消してしまうこともあるんです。

 

このアルバムカヴァーでグラミー賞を与えられましたが、授賞式に行くには及びませんでした。蓄音機型トロフィーは子供たちのおもちゃになり、そのまま雨の中に置きっぱなしになっていました。今では変色して、壊れかけ、犬の歯形までついています。でもきっとジョンは許してくれるでしょう。

 

※ジャケット上に登場する人物についてのWho's Whoはこのサイトが詳しいのでご参考まで→「ザ・ビートルズの『Sgt. Pepper’s』 アルバム・カヴァーに登場しているのは誰? | uDiscoverJP

 

 

 

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