【追悼】チャーリー・ワッツ 1991年のインタビュー「ドラマーとしてある特定の仕事をこなす。それを自分のベストで行うんだ」

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訃報のニュースが入ってからすでに数日たっているが、未だに実感がわかず、正直言って何を書いていいか分からない。

 

今の私が特に思い出すのは、ジャズを演奏しているときのチャーリーがストーンズのときとはまた別の意味で生き生きとしていたということだった。ここでは自分のルーツについて率直に語っているチャーリーに耳を傾けることをもって、このブログでの追悼としたいと思う。

 

(現在ストーンズの公式ウェブサイト「rollingstones.com」にアクセスするとこのチャーリーの写真だけが出てきて、他のコンテンツにはアクセスできない。サイトのタイトルも「Charlie Watts」になっている)

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最近でこそチャーリー・ワッツは他の3人と同じく頻繁にインタビューに答えているが、昔は単独でインタビューを受けることはあまりなかったらしい。彼が積極的にしゃべるようになったのはジャズマンとしてソロ活動を始めた1980年代半ば以降だったようだ。

 

ここでは今からちょうど30年前の1991年、『From One Charlie』をリリースした時に応じたインタビューを紹介する(Rolling Stones Flashback: Charlie Watts interview - The San Diego Union-Tribune)。

 

当時チャーリーは50歳。80年代の大半は事実上分裂状態だったストーンズだが、1989年に『Steel Wheels』で “復活” し、初来日を含む大規模なワールドツアーをやり遂げ、文字通り世界最大のロックバンドとして間違いのない地位を確立した、そんなころのインタビューである。

 

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「自分の好きなことについて話すのはいいが、自分のことを話すのは好きではない。これ(このインタビュー)も私は絶対読まない。失礼なことを言うつもりはないが、私はそういうことをしない人間なんだ。幸運なことに、ストーンズにはそれが得意な人が4人もいて、特にミックはインタビューに答えるのが上手い」

 

「私は自分が(世間でよく言われるような) "静かで威厳のあるストーン" であるかどうかはわからない。私はそう言ったことに興味を持ったことはないし、今もない。エンタメとは何なのかも知らないし、MTVも見たことがない。ただ世の中には楽器を演奏する人たちがいて、自分がその一人であることがとても嬉しいんだ」。

 

 

 

ジャズとの出会い

「12歳のときに(サックス奏者の)アール・ボスティックが「Flamingo」を演奏しているのを聴き、13歳のときに(バリトンサックス奏者の)ジェリー・マリガンの「Walking Shoes」というレコードを買った。この「Walking Shoes」でチコ・ハミルトンがブラシを使って演奏しているのを聴いて、これだ!と感じ、ドラムを叩きたいと思った」

 

「今でもジェリー・マリガンが大好きでレコードをかけているし、チャーリー・パーカーも同じだ。今でも「Walking Shoes」をかけると私は13歳に戻ったような気持ちになり、若返る。今でもそうなんだよ。多くの人が「ストーンズのレコードが好きだ」と言うが、それは彼らが若かった頃にやっていたことと関係していて、成長した今そう感じるんだ」。

 

チャーリー・パーカーについて

「50歳になった今でも、なぜチャーリー・パーカーの話をしているのか分からないが、彼はいつも私の人生の中にいた。彼は私にとって、無意識にすべてのレコードを判断する基準になっている」

 

「彼のどこがどうなのか説明するのはとても難しくて、私には分からない。私はレコードをかけて、「これだ、これが私の好きな曲だ、今でもそうだ、30年間ずっと好きなんだ」と言うことができる。でも、それ以外のことはわからない」

 

「アルバム『チャーリー・パーカー・ウィズ・ザ・オーケストラ』に収録されている「ナイト・アンド・デイ」のビッグバンド・バージョンでは、バンドがBah-boo-bah! と入ってきて、それに彼(パーカー)の冒頭のイントロが続くが、13歳のときも今も、私をワクワクさせてくれるんだ」

 

「「Lover Man」もいい例の一つだ。この曲は悲しく響く曲だが、それこそがパワーなんだ。時代を超越しているだろう?ルイ・アームストロングの「Western Blues」にも同じことが言えるがね」

 

「パーカーは(40年代半ばに)ディジー・ガレスピーと一緒にロサンゼルスに行き、ラッキー・トンプソンやミルト・ジャクソンと一緒にバンドを組んでいたから、クインテットにテナー奏者とヴィブラフォン奏者を加えるのは当然のことだった。すべてが揃っていて、やりやすかった。考えてみれば、とても楽に参加できるだろう。チャーリー・パーカーのおかげでやりやすかったんだ。すべては彼のおかげだった」。

 

ソロのキャリアについて

「(ソロミュージシャンとして)演奏活動を始めるにはある種の自信が必要だったと思うが、数年前までの自分はそれがなかったのかも知れない。自分でビッグバンドを結成して、少年時代に憧れていた多くの人たちと一緒に演奏したことで、自信がついた。ピーター・キングもその一人だった」

 

アメリカでは、なぜかイギリス人のジャズミュージシャンをブッキングしない。アメリカではギターを弾く若い白人青年はたくさん招かれるが、サックス奏者が来るのは好まれない。なぜだか分からないよ」

 

ジャズのカバー曲とロックのオリジナル曲

「しかし、忘れてはならないのは、オリジナルの曲を作って演奏するのはもっと難しいということだ。(パーカーを)解釈することは、とても論理的で面白いアプローチだった。しかし、実際にスタジオに入ってソロアルバムを作るとなると、私にとってはもっと大変なことだった」

 

「私が言おうとしているのは、(『From One Charlie』がわずか2日間でレコーディングされたが)ストーンズが6ヶ月間スタジオにいたことは正しいことだったということだ。今新しいレコードを作るのは、私がクインテットでやったことよりも難しいと思う。最終形がより良いものになるかどうかの話ではない。すでに実績があるように、2日もあればできるし、実際、ローリング・ストーンズも同じように速く上手に演奏できるようになる」

 

「私はミックに "トニー・ベネットのように" 歌ってほしいとは思わないだろう。歌うべき曲がないとダメだ。しかしそんな風に歌うことは、特にソングライターとしてのミックにとっては、とても興味深いことになるだろう。私はソングライターではないがね」

 

「でも、ミックはジャズを聴く。キースもジャズが好きだ。キースはルイ・アームストロングが好きで、たぶん彼のお気に入りのジャズマンだし、彼は私と同じく(サックス奏者の)レスター・ヤングも好きだ。ロニー・ウッドの弟のテッドはドラマーで、ルイや(コルネット奏者の)ビックス・バイダーベックのファンだ。だから、ロニーはそういったものを聴いて育った。兄たちが他のレコードをかけることを許さなかったからだ」。

 

『From One Charlie』について

「これが私の演奏方法なんだ。拍子や音量が違っても、ドラムを叩くのは同じだ。サックス奏者の後ろで演奏するのと同じように、ストーンズの後ろでリムショットをする。ストーンズでは、ジャズグループのときと同じように、ゆるやかにスイングしたいと思っている」

 

「私にとっては同じことだ。ドラマーとしてある特定の仕事をこなす。それを自分のベストで行うんだ。演奏をまとめようとしているわけだから、必要だと思うテイストでそれをやろうとしているんだよ」

 

「関係者たちがこれ(『From One Charlie』)を私の望んでいたように作り上げてくれて嬉しい。今私がここでしゃべったことを読んで、このレコードを聴いてみて、実際にチャーリー・パーカーの「Just Friends」を買いに出かける人がいたら、それこそ私が望むことだよ」。

 

Charles Robert Watts(1941年6月2日~2021年8月24日)

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