ジェフ・ベック 70歳の誕生日に掲載された「ギター・ワールド」誌インタビュー(その1)

 

2014年6月24日、ジェフ・ベックのインタビューがウェブサイトに掲載された。

 

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その日はジェフ・ベック70歳の誕生日であった。

 

アメリカのギター雑誌「Guitar World」の読者からの質問に答えた、Q&A形式のインタビューである。

 

とても長いインタビューであるが、興味深い内容がたくさん出てくるので、これから数回に分けてここにまとめておきたいと思う。

 

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Q. あなたはいつも演奏するとき、強引な自己主張を見せ、「これを聴け!」と言わんばかりの勢いで荒々しいサウンドを観客に投げかけますが、そのスタイルはどこから来たのですか?

 

かんしゃくを起こすようなものだ。感情が爆発する感じだよ。ちょうど学校の先生たちに対し私が反抗したかったような感じだ。

 

押し込められていたフラストレーションが爆発と一緒に現れてくる。同時に私の人生を反映したもの、人生で起こる困難に対する私の反応も一緒に現れるのだ。

 

歌手が叫び出すときもそんな感じだ。スクリーミン・ジェイ・ホーキンスがちょうどそんな感じだ。彼は普通に歌っていても、突然猛りだすのだ。ああいうのは好きだな。

 

 

(スクリーミン・ジェイ・ホーキンス(1929~2000)はアメリカのリズム&ブルース・シンガー)

 

音楽には混乱したところがあったほうがおもしろい。あまり混乱しすぎてはいけないが、(混乱が含まれているのは)何よりも必要なことだ。つまりバランスが取れていればいい。

 

この前「シルク・ド・ソレイユ」を見てきたんだが、あれは完全に準備された混乱だった。そうかと思うと、ショーの途中で喜劇のシンプルな一幕も用意されている。

 

このサーカスがやっていることと、私が音楽について考えていることがちょうど同じで、素晴らしいと思ったよ。

 

ショーとして素晴らしかったのみならず、私にとってとても意味のあるものだった。家に帰ってから、考えたんだ。あのショーを音楽に転換してみたら、きっと私が最終的に目指しているものとそう遠くはないだろう、とね。

 

つまり、混乱と美しさの両方で人々に喜んでもらう、ということだ。

 

 

Q. ニューヨークの「シーン・クラブ」で、ジミ・ヘンドリックスジェフ・ベック・グループと1週間にわたって毎晩共演したという話を読んだことがあります。その時どんな感じだったか、またジミとの関係について、教えてください。

 

1968年6月、ジェフ・ベック・グループはそのクラブで6夜連続ステージに立った。

 

その前に、最初にアメリカで成功したライヴはフィルモア・イーストでやった。グレイトフル・デッドと一緒だった。

 

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これが成功してメディアでも大きく取り上げてもらった後、6夜連続小さなクラブで手ごろなライヴをやることになった。

 

オーディエンスにとっては、今まで見たライヴをもう再び6回連続で見れるチャンスだった。こんな風に間近でじっくり見られるのは乗り気ではなかった。もしかすると、フィルモア・イーストでやった時はたまたま運が良かっただけかもしれない、と思ってね。でも、結果的に成功だった。

 

シーン・クラブでの最初の夜はジミは来なかった。でもその後の5日間は毎晩来た。だいたいショーの中盤になると、自分自身のレコーディング・セッションを途中で切り上げて来たジミが現れた。

 

歓声がすさまじかった。クラブ内はすでに満員だったが、ジミが現れると、みんな人の肩の上に立って見ようとしだした。

 

彼がギターを持ってこなかったときがあったが、そのときは私のスペアのギターを手にし、左右逆にして弾いていた。その時私はベースを弾いたときもあった。

 

誰かが写真を撮っておいてくれたのは本当によかった。このライヴについての記録はほとんど残っていないんだよ。

 

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ちょうどその頃、ジミと私はシークレット・ギグも行った。デイトップ・ヴィレッジ(ドラッグ中毒者のためのリハビリ・センター)でのチャリティーライヴだった。

 

ジミがシボレー・コルベットを運転し、私を会場まで連れて行ってくれたんだ。あれは最高の時間だったよ。ジミの運転はひどいものだった。私たちはニューヨークのど真ん中で渋滞にはまってしまい、ジミの新品のコルベットが煙を吹き始めたんだ。ここで爆発しないでくれ、って思ったよ!(笑)なんでマンハッタンでコルベットなんか買ったんだい、って思ったね。

 

私は別にほめ言葉など求めていなかったが、ジミは私に合う前からヤードバーズのレコードで私の演奏を知っていた、とある人から聞いたんだ。彼なら知っていたはずだ、と私も思う。なぜなら、彼のように激しくまた創造的に演奏するプレイヤーは、他人の演奏にも注意深く耳を傾けるからだ。

 

ジミは、人がよく言うような孤高のブルース・プレイヤーではなかった。彼は何でも聴こうとしていたよ。そしてその事実だけでも私には興味深いことだった。

 

また彼は、リトル・リチャードのバックバンドで演奏していた1965~66年に、ヤードバーズのライヴを見ていたのだ。

 

彼が演奏するのを見たときは驚いたよ。ジミの演奏を見る前にジミに会ったことがあった。ロンドンにある小さなクラブで、「ドリー・バーズ」と呼ばれたミニスカートをはいた少女たちと一緒にいるジミと知り合ったのだ。

 

そこにいた人たちはみな、ジミはフォークっぽい曲を弾く人だろうと思っていたはずだ。ちょうどボブ・ディランのようなタイプのね(笑)。そして、彼は自分のヴァージョンの「Like a Rolling Stone」を弾き出し、その場をぶっ飛ばしてしまったんだ。

 

私はただ「おお、これはすごい!」という感じだった。あのすごさは劣等感や競争心などを消してしまうものだった。ただ驚かされた。

 

自分がやりたいと思っていたことを誰か別の人がやっているのを見てしまった私は、すっかり意気消沈してクラブを出ていった。しかし同時に、自分たちギタリストに大きな道を開いてくれた男がここにいる、とも思った。がっかりして「俺たちはもう終わりだ」と思うのではなく、「ここらからスタートだ!」と思ったのだ。

 

私は短い間だったがジミを知ることができて本当に良かった。あれはロンドンの「スピークイージー」というクラブにある社交場で起こった魔法だ。あそこに行けばエリック・クラプトンやジミが演奏しているのを見ることができたのだ。そんな場所はもう存在しないようだね。

 

   

 

Q. 60年代後半のアメリカでは「ブリティッシュ・ブルースの爆発」が起こっていたことをみんな気づいていました。イギリスではどうだったのでしょうか?音楽シーンがどんどん広がり、クリームやジミ・ヘンドリックスの音楽的冒険がやって来る、そんな前兆があったのですか?

 

私にとってはジミ・ヘンドリックスが最初の衝撃だった。イギリスではジミがみんなを揺るがしてしまう大きな存在だった。私たちはすでにギタリストとしてポジションを確保していたが、ジミがやってきて一晩ですべてリセットしてしまったのだ。

 

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続いてエリックがクリームと一緒に活動し出して、一大ムーヴメントを引き起こした。

 

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私といえば、身の回りに何もなくなってしまった。あれは辛かったよ。ほかのギタリストと同じステージに戻りたくても、何も持っていなかったのだから。

 

時間がたって、コージー・パウウェルとなんとか音楽つくりを続け、さらに幸運なことにベック・ボガート・アピスとして仕事ができた。あれはスーパーグループだった。彼らは、ちょうどドラッグをやっているクリームのメンバーみたいに(!)とても熱意があり、おかげで私も前進できた。

 

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そしてジョージ・マーティンと知り合い、私たちはもっと円熟した音楽づくりを始めたのだ。それが「Blow by Blow」へとつながったと言える。