ローリング・ストーンズ69年全米ツアー 「ライヴ」をビジネスとして確立したその功績

f:id:musique2013:19691128000000j:plain

 

ちょうど半世紀前の1969年11月、ザ・ローリング・ストーンズは約3年ぶりとなる全米ツアーを行っていた。

 

その前の全米ツアーは1966年7月。

 

そのときは叫びわめく少女たちで埋め尽くされた小・中規模のライヴハウスが中心だったが、この69年のツアーでは音楽に耳を傾けるファンたちが集まるアリーナ規模の会場をまわるものとなった。

 

音響はより精度を増し、舞台照明はチップ・モンクという有名な照明デザイナーが担当した。

 

f:id:musique2013:20191126175103j:plain

 

ミック・テイラーは69年6月に加入したばかりだったので、これは彼が参加した最初のツアーになる。 このツアーで演奏する前はハイド・パークのフリー・コンサートに出演しただけだった。

 

海賊盤の流行が原因で『Get Yer Ya-Ya's Out!』が生まれる

f:id:musique2013:20191126181847j:plain

 

11月8日に行われたロサンゼルスのザ・フォーラムでのライヴがこのツアーの正式な初日とされているが、実はその前日の7日にコロラド州立大学(当時)でウォームアップ・ライヴをやっている。

 

そして徐々に東部に向けて移動していくかたちでツアーは進められた。

 

11月9日にカリフォルニア州オークランドで行われたライヴの音源は、後に『Live'r Than You'll Ever Be』と題された海賊盤として出回り有名になった。

 

f:id:musique2013:20091113211649j:plain

 

『Live'r Than You'll Ever Be』はボブ・ディランの『Great White Wonder』やビートルズの『Kum Back』とともに、当時流行り出した海賊盤の先駆け的なレコードだった。

 

この海賊盤レコードがあまりにも流通してしまったため、デッカ・レコードは公式ライヴアルバムのリリースを検討せざるを得なくなってしまう。

 

ツアーも終盤の11月27・28日の2日間にわたり、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでライヴが行われ、ここで音源とともに映像もおさめられていた。

 

この2回の公演の音源が『Get Yer Ya-Ya's Out!』にまとめられ、翌1970年にリリースされることになる。

※「Love in Vain」のみ11月26日のバルティモア公演の音源。

 

 

 

ドキュメンタリー映画『Gimme Shelter』(1970年公開)はオルタモントでのライヴ映像でよく知られているが、マディソン・スクエア・ガーデン公演の映像もかなりの多く使われている。

 

2009年に『Get Yer Ya-Ya's Out!』 の40周年記念デラックス・エディションがリリースされ、そのボーナスDVDにもやはり演奏シーンが収められているが、これもマディソン・スクエア・ガーデン公演の映像だった。

 

11月28日のライヴでこのツアーは終了する予定だったが、30日にフロリダ州ウェスト・パーム・ビーチが追加され、さらに12月6日にはオルタモントで行われるフリー・コンサートのヘッドライナーとして出演し、ようやくツアーは終了した。

 

f:id:musique2013:20191126175410j:plain

 

15曲、約75分間のライヴ

今でもしばしば耳にする「The greatest rock and roll band in the world」という “キャッチフレーズ” はこのツアーから使われるようになったと言われている。 (初めて使われたのは6月にロンドンのハイド・パークで行われたコンサートのときだった。)

 

セットリストは以下の通り。

  1. Jumpin' Jack Flash
  2. Carol
  3. Sympathy for the Devil
  4. Stray Cat Blues
  5. Love in Vain
  6. Prodigal Son
  7. You Gotta Move
  8. Under My Thumb
  9. I'm Free
  10. Midnight Rambler
  11. Live with Me
  12. Little Queenie
  13. (I Can't Get No) Satisfaction
  14. Honky Tonk Women
  15. Street Fighting Man

 

f:id:musique2013:20191126175645j:plain

 

コンサートは時には深夜に及ぶこともあったという。

 

サポートアクトはテリー・リード、B.B.キング(一部公演ではチャック・ベリーと交代)、アイク&ティナ・ターナーが務めた。

 

彼らの演奏が約3時間にわたり、その後ストーンズが登場。ストーンズ自身のライヴは平均して75分間だった。

 

マディソン・スクエア・ガーデンで行われた公演のひとつでは、アイク&ティナ・ターナーのステージにジャニス・ジョプリンが飛び入り参加している。

 

 

 

収益を生むツアービジネスを確立

このツアーのチケット代は3ドル~8ドルで、チケット売上は100万ドルを超えた。

 

このツアーのプロデューサー兼財務マネージャーはロニー・シュナイダーという男で、彼はこのツアーのために新しい収益モデルを作り上げた人物である。

 

ちなみにシュナイダーはアラン・クラインの甥。クラインはその直前にキース・リチャーズらによって解雇されている。

 

ツアー開始前、シュナイダーもストーンズもツアーのための資金は用意できていなかった。

 

しかしシュナイダーは「チケット売上の50%が前払いでストーンズ側に入る」という仕組みを用意していた。

 

この前払金を資金源として、ツアーが行われたのである。

 

f:id:musique2013:20191126174559j:plain

 

シュナイダーはチケットの売上をストーンズ側に確実に流れ込ませることに成功し、ツアーの収益をバンド自身がコントロールできるという状態を作り上げた。

 

チケットの売上のみならず、ツアーに付随する様々な権利のマネジメントも執り行い、ポスター、Tシャツ、プログラムといった関連グッズのライセンスも管理した。

 

今となってはこうしたツアーのマネジメントはどのミュージシャンもやっており、珍しいものではない。

 

しかしこれが確立したのはこのストーンズの1969年全米ツアーだったと言われており、その後1970年代以降も他の多くのバンドがこの方法によりツアーで収益を上げるようになった。

 

ローリング・ストーンズの1969年ツアーについては "オルタモントの悲劇" ばかりが語り継がれているが、コンサート・ツアーというものをビジネスとして確立したという功績がもっと評価されてほしいと思う。