【追悼】ジンジャー・ベイカー 2009年のインタビュー 「どいつもこいつもバカばかり」だが「私は黄金の10点満点」

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ジンジャー・ベイカー死去のニュースは、60年代のロックを愛する人たちにとっては2019年の大きな出来事のひとつだったと思う。

 

以下はベイカー70歳の時に行われたインタビュー。

Ginger Baker interview: an afternoon with the world’s most irascible drummer | Louder

インタビューが行われた正式な日時は書かれていないようだが、70歳であればちょうど10年前の2009年。ベイカーが自伝『Hellraiser』を出版した年である。

 

内容は音楽やドラムの演奏について語られたものではない。

 

これまでのキャリアで関わってきた人たちについての話で、クリーム(特にジャック・ブルース)から始まり、パブリック・イメージ・リミテッド、ホークウィンド、BBMジミ・ヘンドリックスなどを語り、さらには同時代のドラマーたちに点数をつけ、ビートルズストーンズまでも容赦なくこき下ろしていく。

 

 

 

クリーム

おそらく私の親友はエリック・クラプトンだ。彼とスティーヴ・ウィンウッドだ。エリックは私の弟のような存在で、私は彼のことをとても誇りに思っている。彼は立派なことをやり遂げた。

 

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クリーム結成前には彼にあれほどのファンがいるとは知らなかった。「Clapton is God」と壁に書かれているのを目にしたことはあったが、それほど人気があるとは気づかなかった。私はほとんどのことに無関心だからな。

 

ジャック(・ブルース)とは1962年に知り合った。クリームを含め、彼をバンドに引き入れたのはいつも私だった。私はつなぎ役だったんだ。

 

ジャックはグラハム・ボンドでヴォーカルをやるようになってからエゴをむき出しにしてきた。今だって彼は私がドラマー以外の何かになることを受け付けようとしない。彼は私を優れたドラマーだと認めているが、ミュージシャンとしては認めていない。私だって作曲するのにな。

(訳注)グラハム・ボンド・オーガニゼーションはジンジャー・ベイカーとジャック・ブルーが在籍したリズム&ブルース・バンド。

 

ピート・ブラウンも同じだ。彼とは1961年にセント・パンクラス・タウン・ホールでのライヴで出会った。クリームのことになると、彼は単に「電話があった」というだけで、私からの電話だったとは言わないんだ。

(訳注)ピート・ブラウンはジャック・ブルースと組んで「Sunshine of Your Love」や「White Room」を書いた作詞家。

 

私たちはみんなクリームの曲に貢献してきた。私がイラつくのは「Sunshine of Your Love」と「White Room」だ。私は曲の重要なパートをやっている。(「White Room」の)5/4ビートのボレロなどがそうだが、私のクレジットはどこにもない。何年も経ってからエリックが自分のライヴで「White Room」を演奏するとジャックはブチ切れやがった。残念だがジャックというのはこういう男なんだ。

 

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2005年にクリーム再結成ライヴがロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで行われ成功をおさめ、その後ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでも再びライヴを行うことになったときのことを、こう語っている。

ジャックの態度が違っていた。彼はまるでマイクを握ってステージ上で踊りまくる嫌な奴に成り下がっていた。(ロイヤル・)アルバート・ホールは今までで最も楽しむことが出来たライヴのひとつだったが、マディソン・スクエア・ガーデンはクソだった。

 

後でジャックは私に謝った。「We’re going Wrong」のときに私の音が大きすぎるといって観客の前でキレやがったからだ。あれですべてが終わったんだ。彼は謝ればまた出来ると思ってるんだろう?そもそもそれが原因で私たちは別々になったんだ。

 

イカーはクリームの著作権ではジャック・ブルースとピート・ブラウンがベイカーやクラプトンよりも多く稼いでいると主張している。

これでいいと思うか?ピート・ブラウンは、彼が素晴らしい曲を書いたおかげで私に金が入っているのだから感謝してほしいという手紙を送ってきた。私はこの二人のどちらにも我慢がならない。

 

彼らは私とエリックからクリームを盗んだのだ。私は、エリックも「Sunshine of Your Love」の著作権を持つべきだと主張した。そして誰かが「じゃあ、ジンジャーおじさんにも?」と言ってくれるものと思っていた。でもそんなことはなかったんだ。まったく不公平だった。

 

エリックは「いいリフを思い付いたんだ」と言ってリハーサルにやって来る。でもジャックは「すでに完成した曲がたくさんあるから」と言い返して終わりだ。そしてその曲を演奏しなければブチ切れるんだ。

 

アンガーマネジメントなんかクソの役にも立たない!私の解決方法はバーに行ってとにかく忘れるまでじっとしていることだ。さもないと戻って行って彼を殴っていただろう。

 

 

 

パブリック・イメージ・リミテッド

「パブリック・イメージ・リミテッド」はセックス・ピストルズジョン・ライドンジョニー・ロットン)がピストルズ脱退後に結成したバンド。1986年にリリースした『Album』という名のアルバムにジンジャー・ベイカーは参加している。

 

1986年に「Rise」という曲でドラムを叩いた。だから彼(ライドン)には会ったことがないと言えばウソになる。何度か会ったことがある。控えめに言って少し奇妙な奴だ。初めて会ったとき、彼は座ってひげ剃りで指の爪を切っていた。それからいろいろなセッションで会った。

 

私とライフタイムのトニー・ウィリアムズはともにパブリック・イメージ・リミテッドで演奏している。しかしあのレコードで誰がドラムを叩いているのか評論家たちも分からないんだ。だから二人で笑ってしまった。正直言うと、自分自身でも区別がつかない。どうでもいいことだ。私はただ金をもらった。私もトニーもあの演奏については笑ってしまうんだ。

(訳注)トニー・ウィリアムズはジャズ・フュージョン・ドラマー。「ライフタイム」は彼がリーダーとして活動したグループ。

 

ホークウィンド

ホークウィンドはイギリスのサイケデリック・ロック・バンド。1980年リリース『Levitation』にジンジャー・ベイカーが参加している。

 

あれは史上最大のジョークだった。金が必要だったんだ。動機はそれだけだ。しかし悲しいことに、私は何も受け取っていない。彼らに金がなかったんだ。

 

ホークウィンドは自分たちの音楽よりもステージ上の見た目やライティングに関心があった。それに彼らの音楽はひどいものだった。きわめて悪質だ。すべて嫌いだ。ありがたいことに、彼らとは長くやらなかった。

 

BBM

BBMジャック・ブルースゲイリー・ムーアとともに1994年に結成されたバンド。90年代のスーパーグループだったが、短命に終わった。

いつものことだが、ジャックからは過去の行動についてたっぷりと謝罪の言葉を聞かされた。スタジオセッションもみんなに喜んでもらえるものだった。だが彼はまたボスとして行動し、私をセッションプレーヤーとして扱ったのだ。

 

ツアーの提案もあり、1回のライヴで私は5万ポンドもらうことになっていた。しかしゲイリー・ムーアは大音量で演奏しすぎて聴力をダメにしてしまった。ちょうどジャックが私を難聴にしたのと同じだ。実際に行われたコンサートよりもキャンセルされたコンサートのほうが多かった。

 

それにあのバンドはひどかった。クリームとは違ってゲイリー・ムーアのやるすべてが事前に決められたもので、彼が演奏するソロはすべて同じだった。私は即興が好きなんだ。

 

私の知らないうちにブリクストン・アカデミーでリハーサルが行われた。そこに着いてみると、ゲイリー・ムーアのギターが聞こえてきた。私たちはいつもと同じく楽譜通りに演奏した。本当は即興も混ぜた演奏であるべきなんだが。

 

翌日、彼のマネージャーが電話をしてきてゲイリーがまた耳をやられてしてしまって病院に行くことになった、と言ってきた。私は「なぜ彼を精神科に連れて行かないんだ?彼に必要なのはそれだぞ」と言ってやった。言うべきことではなかったと思うがね。

 

だから私は自分の本(自伝『Hellraiser』)の表紙に満足できないんだ。あれはアルバム(※BBM唯一のアルバム『Around the Next Dream』)に使われた私の写真で、天使の翼の前に立ちタバコを吸っているものだ。カッコいい写真だがとても嫌な含みがある。

 

イカーの自伝『Hellraiser』

 

BBMのアルバム『Around the Next Dream』

 

あれは「ポップ界の甘やかされたリーゼント野郎」(=ムーア)といっしょに演奏していたひどい時期だったのだ。彼が缶詰を開けるときに指を切ってしまったせいでパリのライヴがキャンセルされたこともあった。エリックだったら絆創膏を貼って演奏しただろうがね。

 

ゲイリーはダメだね。それにジャックもまたジキルとハイドになってしまった。彼は自分のホテルの部屋が気に入らなかった。彼の家族が見た目に文句を言ったからだ。彼はメルセデスを欲しがることはなかったが、リムジンを求めていた。ライヴ会場までのわずか10分間の移動のためにだぞ。おいおい、どうかしているだろ?

 

今度も彼は大音量で演奏するから私はバッフルボードが必要だった。大音量は嫌いだ。なぜロックミュージックはあんなに音を大きくしなくてはいけないのだ?私にとってはあれがロックンロールの終わりだったのだ。

 

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ジミ・ヘンドリックス 

彼は優れたプレイヤーだった。ステージに立っているときよりもジャムセッションの時の方がよかった。

 

ジミがクリームと共演できるだろうかとチャス・チャンドラーが聞いてきたときはあまりいい印象を受けなかった。あのときは彼が何者か知らなかったし、ある種の変人で、ひざまずいて歯でギターを演奏し始めた。まったく感心しなかった。

(訳注)チャス・チャンドラーはジミ・ヘンドリックスのマネージャー。

 

エリックはジミが好きだった。私は彼を人として知るようになり、私たちは仲良くなったのだ。

 

ブラインド・フェイスのあと、1970年に私たちはいっしょに音楽をやったが、結局彼はモニカ(・ダンネマン)という付き合ってはいけない女性と一緒になった。彼の死は彼女に責任がある。彼は女性と寝て体調を崩し、女性は病気の彼を置いて逃げていく。惨めなことだ。彼が発見されたときは、もう冷たくなっていたんだ。亡くなってからすでに4時間経っていた。

 

その晩、私たちはあちこち彼を探し回った。コカインが大量に手に入ったので彼も仲間に呼ぼうと思ったのだ。彼もコカインをやっていれば生きていただろう。決して眠ってしまうことはなかったはずだ。

 

私はジミとはいい時間を過ごした。彼はハローにある私の家にディナーにやって来たこともある。ステージで演奏中に見つけた女性を連れてくるんだ。 

 

同時代のミュージシャンたち

ドラマーとしてのキース・ムーン?ダメだな。ザ・フーで私のように演奏しようとする彼はいいがね。

 

ピート・タウンゼントは好きだ。彼の父親は「The Squadronaires」でサックスを演奏していた昔のジャズマンだ。つまりピートにはしっかりした土台がある。彼も私のように聴力をダメにしてしまったんだ。ひどいマーシャルアンプのせいでな。

(訳注)The Squadronairesはイギリス空軍の軍楽隊。ピート・タウンゼントの父親クリフ・タウンゼントはこの楽団でサックスを担当しており、名の通ったジャズミュージシャンだった。

 

ムーニー(キース・ムーン)は素晴らしい奴だった。だがマイナス2点から10点満点の間で点数を付けるとすれば、やはり私が黄金の10点満点だ。

 

ミッチ・ミッチェルは流しのミュージシャンで、望みなし。ジョン・ボーナムリンゴ・スターチャーリー・ワッツ… 彼らはみんな3点か4点だ。

 

チャーリーは好きだ。彼とは昔ジャズをやっていたときから友人だし、ストーンズにとっては完璧だ。彼が私をアレクシス・コーナーに紹介し、私が彼をストーンズに推薦したんだ。

(訳注)アレクシス・コーナーのバンド「ブルース・インコーポレイテッド」にはベイカーの他、ジャック・ブルースチャーリー・ワッツが在籍していた。

 

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しかし私はストーンズが嫌いだ。今までもずっとそうだった。ミック・ジャガーは音楽面では無能。だが経営面で天才なのは事実だ。

 

彼ら(ポップ・ミュージシャン)のほとんどがとにかくマヌケどもだ。ポール・マッカートニーは自分は楽譜が読めないなどと自慢している!よくも自分をミュージシャンだと言えたもんだ。

 

ビートルズの中ではジョン・レノンがずば抜けてすぐれたミュージシャンだ。彼は才能に恵まれている。しかしジョージ・マーティンこそザ・ビートルズだ。彼がいなければビートルズなんか大したことなかったのだ。

 

あれは私の息子が生まれた日だったが、ビリー・プレストンの「That’s The Way God Planned It」のためにジョージ・ハリスンとセッションをしていた。しかし大して続かなかった。

 

彼(ハリスン)もまたジャガーと同じで、自分で何を言っているのか分からずにしゃべっているような奴だった。彼がアイデアを説明するときは腕を振りながら説明する。「ジンジャー、こんな感じで演奏してよ」といって腕を激しく動かすんだ。一体何を言ってるんだこいつは!(譜面に)書いてくれればそれを見て何が言いたいか分かる。でも彼は書くことが出来ないんだ。

 

どいつもこいつもバカばかりだ。クリームがロックンロール・ホール・オブ・フェイムに入ったとき、私は気分が悪くなった。なんだ、あのディック・モリソンとかいう奴は?(ジム・モリソンの間違い)。彼のバンド(ザ・ドアーズ)がくだらないスピーチをして、親に、叔父さんに、犬に感謝しますとか言って、グダグダしゃべりやがった。クリームがステージで演奏を始めるまで8時間も待たせられた。だからひどいものだった。すべてクソだ。

 

私はエリックといっしょのテーブルにいた。エリックはナオミ・キャンベルといっしょで、彼女はとても素敵な女性で私たちとウマが合った。だがみんな退屈で硬くなっていた。コカインがあっても目を覚ましていることはできなかっただろうね。

 

 

 

現代の音楽でお気に入りは?

デスティニー・チャイルドのケリー・ローランドが私のお気に入りだ。ビヨンセも悪くない。「When Love Takes Over」はそれほどいい曲ではない。しかし彼女の歌声はホイットニー・ヒューストンのようだ。それに彼女はとても美しいし、信じられないくらいダンスも上手い。

 

それ以外では、大したお気に入りはいない。今のポップミュージックはクズだ。

 

私は音楽業界もまったく好きではない。クリームでアトランティック・レコードに在籍していたのは何年間だったろうか?今でも「ミス・ジンジャー・ベイカー」あてに送られた手紙を持っている。こういう奴らはどうやって職につけたのだ!?

 

本(自伝『Hellraiser』)の中では私は「fu*k」という言葉を使いすぎている。でも私と一緒にこの本を執筆した娘のネッティーに言わせると、これが私のしゃべり方らしい。

 

2番目と3番目の元妻とはまったく連絡を取っていない。最初の妻リズは別だ。彼女は私の最高の友人だ。誠実なリズ・ベイカー。私たちがもっと仲良くしていけるといいと願っている。私たちは口げんかが多すぎるんだ。いつでも話し始めると、最後は電話をガチャっとおいて終わってしまう。しかし彼女は素敵な女性だ。彼女が唯一の人なんだ。

 

Peter Edward "Ginger" Baker(1939年8月19日~2019年10月6日)

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