50周年を迎えるローリング・ストーンズ『ロックンロール・サーカス』の "意義" を追いかける

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ローリング・ストーンズの『ロックンロール・サーカス』はもともとBBCで放映される予定のテレビ番組として制作された。

 

最新アルバム『Beggars Banquet』のプロモーションもその目的のひとつだった。

 

前年の1967年、ストーンズは『Their Satanic Majesties Request』をリリースしている。 明らかにビートルズの『Sgt. Pepper’s』の影響丸出しのアルバム作りで、ストーンズが「迷走した」と評価する人もいた。

 

しかし翌68年の『Beggars Banquet』では、ストーンズならではのロックに回帰し、さらにそれを発展させることに成功した。

 

アルバムリリースから数日後の1968年12月11日、このテレビ番組は収録された。

 

この番組でのストーンズの演奏は、ドラッグ問題を抱えていたブライアン・ジョーンズが参加した最後の演奏となった。 約半年後、ブライアンはストーンズから解雇される。

 

ジョン・レノンが初めて「ソロ」で登場】

このテレビ番組にはジョン・レノンがゲスト出演していることも大きな話題となった。

 

ジョンがビートルズ以外のメンバーとステージに登場したのはこれが初めてだった。

 

キース・リチャーズや同じくゲスト出演していたエリック・クラプトンジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのミッチ・ミッチェルらと「ダーティー・マック」という一夜限りのバンドを結成し、ホワイト・アルバム収録の「Yer Blues」を披露している。

 

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また、オノ・ヨーコがジョンといっしょのステージに登場したのもこの番組が初めてだった。

 

ストーンズ側からジョンに出演依頼があったとき、ジョンはヨーコのパフォーマンスも含まれることを条件として要求した。 この要求は受け入れられ、「Yer Blues」のあとに黒いバッグからヨーコが登場し、彼女はシンガーとしてのデビューを飾る。

 

この収録現場に観客として観に来ていたのは主に十代のファンたちだった。 彼らは今まで見たことも聴いたこともないヨーコのパフォーマンスに度肝を抜かれた。

 

ヨーコはアメリカに移住するまで日本でクラシック音楽を学んでおり、ジョンと出会うまではロックは「粗野だ」として嫌っていたことはよく知られている。 しかしこの夜、ヨーコは歌手としてのキャリアをスタートさせ、この2018年もニューアルバム『Warzone』をリリースする。

 

一方、ジョンの心は明らかにビートルズから「ジョン&ヨーコ」に移っていた。 「ダーティー・マック」でビートルズ以外のミュージシャンとの演奏を楽しみ、その後1年も経たないうちにビートルズから事実上脱退してしまうのである。

 

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【1996年までお蔵入り】

このテレビ番組がすぐに放映されず30年近くお蔵入りしてしまった理由は、ミック・ジャガーが自分のパフォーマンスを気に入らず、その一方でザ・フー、とくにロジャー・ダルトリーのパフォーマンスがストーンズを圧倒してていることに落胆し、放映を許可しなかったから、というのはよく知られている。

 

しかしこれはあくまで噂のレベルを超えない推測らしく、ミック・ジャガーはかつて一度もこの話を認めたことはない。

 

撮影は午後2時に始まり、途中照明やカメラの変更などがあり、疲れ果てたストーンズが演奏を始めたときは翌朝の5時になっていた。

 

ミックは撮影されたフィルムがテレビ局に売られてしまうことがないように取り計らい、結局この映像がストーンズの名声を傷つけることがない時代になるまでお蔵入りとなった。

 

ストーンズのロック史上におけるステータスが確立した1996年、CDとVHSビデオで公式リリースされた。 そのときもあまり目立った宣伝は行われていない。

 

その後2004年にDVDがリリースされている。

 

ブライアン・ジョーンズキース・ムーンジョン・レノンなど、重要な出演者の一部はすでにこの世の人ではなかった。

 

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【音楽をヴィジュアルとともに表現する先駆け】

長い間お蔵入りになっていたとはいえ、『ロックンロール・サーカス』はロック・ポップスをどのように見せるかという点について一つのターニングポイントとなった。

 

若い男性グループがステージに立って、叫び声をあげる女性ファンたちにヒット曲を歌い上げるというそれまでの音楽番組とは全く違う、一つの「サーカス」を作り上げた。

 

このスタイルは、1970年代以降のストーンズのステージ構成に引き継がれていく。

 

こうした新しい音楽番組のアイデアの一部は、監督であるマイケル・リンゼイ=ホッグによるものだった。

 

リンゼイ=ホッグはイギリスITVの音楽番組「Ready Steady Go!」のディレクターとして知られ、翌1970年にはビートルズの『Let It Be』を監督して名をなした。

 

ストーンズが『ロックンロール・サーカス』で始めた豪華な演出のステージというのは、少なくともビートルズはやらなかったことだった。

 

音楽をヴィジュアルとともに表現するということは、のちにグラムロックやMTVの出現によって当たり前のものとなったが、この始まりは『ロックンロール・サーカス』だったと、今では多くの人が評価するようになった。

 

 

 

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