エルヴィス・プレスリー没後40年 当時のメディアとアメリカ南部の反応

 

 

f:id:musique2013:20170817210247j:plain

 

エルヴィス・プレスリーが亡くなったのは1977年8月16日。

 

40年たった2017年の彼の命日に、アメリカの新聞「Washington Post」がエルヴィス死去当日のアメリカ国民の反応と、一部のメディアの”あわてぶり”について記した興味深い記事をのせている(Elvis’s death was a perfect example: The media doesn’t understand Middle America - The Washington Post)。

 

この記事は当時のメディアがアメリカ南部にあまり関心を寄せていなかったことを指摘し、それがエルヴィス死去に対するメディアの対応の仕方に現れたことを述べている。

 

あくまでアメリカ国内に限定された話ではあるが、「キングの死」というロックの歴史の大きな出来事を現場のアメリカはどう反応していたのか、その一端を垣間見ることができる。

 

 

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

 

1977年、ケーブルニュースもインターネットもなかった当時、CBSNBC、ABCの夜のニュースはその頂点に君臨していた。

 

新聞各社もその最も繁盛した時代を謳歌していた。

 

しかしアメリカ中のニュースルーム、とくにメディアのメッカであるニューヨークでは、プレスリーにほとんど注意を払っていなかった。

 

メディアにとって彼は1950年代のアイコンにすぎなかったのである。

 

エルヴィスはわずか42歳だったため、彼の死は予期されていなかったことだった。

 

ジャーナリストたちを驚かしたのは、プレスリーの死に対するアメリカ国民の反応である。

 

アメリカ国民にとって、彼の影響というものはビートルズが登場したときに終わっていた。

 

しかし1977年8月16日の午後、時間が進んでゆくにつれて、草の根レベルでうわさが広がっていくのを無視することができなくなっていた。

 

何万人もの人たちがメンフィスを目指して歩きだし、中には仕事を辞めてまで向かう人たちもいた。

 

メディアのニュースルームに置かれた電話は、より詳しい情報を求める人たちからの問い合わせでパンク状態だった。

 

CBSニュースは視聴率のトップを取っていたが、そのアンカーマンであったウォルター・クロンカイトは休暇中だった。

 

彼の代役を引き受けていたロジャー・マッドは、クロンカイトがやっていた編集長としての権限を持っていなかったため、仕事はすべてプロデューサー頼みだった。

 

結局その日のCBSは、ジェラルド・フォード大統領が「パナマ運河条約」の支持を表明したことを夕方のトップニュースとして伝えたのである。

 

NBCアンカーマンはデヴィッド・ブリンクリーだった。

 

彼は南部出身であり、プレスリーが今でも何百万という人々の心に生き続けているこの南部という地域のことを理解していた。

 

ABCのハリー・リーズナーも、ブリンクリーと同じくプレスリーのニュースをトップで伝えた。

 

後年、あるCBSのプロデューサーは「彼があれほどの人気を誇っていたことなどまったく知らなかった」と白状している。

 

その日の午後遅く、全国紙の編集者たちはアメリカ国民の反応の大きさを少しずつ理解しつつあった。

 

ニューヨークタイムズ紙では「誰も(プレスリーの)死亡記事を事前に用意していなかったことが分かり、ある種のパニックが起こった」という。

 

f:id:musique2013:20170817211842j:plain

 

しかし、エルヴィスは決して表舞台から消えたことはなかったのである。

 

1950年代の凄まじいスタートに始まり、1960年代には高い収益を生み出す(一部はアーティスティックな試みもあった)一連の映画に主演し続けていた。

 

そして1970年代になると、彼はアメリカの大型アリーナでのコンサートを次々とソールドアウトにしていった。

 

1972年にはマジソン・スクエア・ガーデンで立見のみのコンサートを4日連続で行い、また翌1973年にはライヴ・コンサートが全世界に衛生生中継される最初のソロ・パフォーマーとなった。

 

その死が1週間以内にまで迫った最期のときでさえも、全ソールドアウトのアリーナツアーを無事終了させているのである。

 

メディアはしばしば自分たちに関心のあることと、いわゆる「ミドル・アメリカ」にとって重要な事柄との違いに気づかないことがある。

(訳注:「Middle America」とは海に面していない内陸の州のことを指す言葉。プレスリーのホームタウンであるテネシー州もその一つ)

 

エルヴィス・プレスリーの死はその最も分かりやすい例だった。

 

エルヴィスは一般人に最も愛されたが、果たしてその才能以外に、いかなる理由からなのか?

 

彼は誰がホワイトハウスの主になろうとも、自分の国に対するプライドを示した。

 

母親に対する愛を率直に表し、兵役をやり遂げ、「サー」や「マダム」の敬称をつけて人々に話しかけ、まったく知らない他人に豪華なプレゼントを贈り、対外的には謙遜し、また敬虔なクリスチャンでもあったのである。

 

表向きには、彼は政治的な発言をしなかった。

 

ヴェトナム戦争についての意見を求められると「自分個人の意見は自分自身の中にとどめておくつもりです。私はエンターテイナーで、意見は言わないほうがいいでしょうからね」と答えた。

 

これは今でも有名人たちが政治に関する質問をされたときの、模範解答とされているものだ。

 

死の直前の数年間、エルヴィスは明らかに体重を増やしてしまった。

 

死後、彼が処方された薬物の中毒になっていたことが明らかになった。

 

こういった彼の犯した過ちですら、やはりアメリカ的だったのである。

 

毎年何十万人というファンたちがグレイスランドを訪れ、何百万人が彼のアルバムを買い続け、エルヴィス関連のプロジェクトは相変わらず数多く催されている。

 

ニュースメディアもその後数十年間を費やしたものの、ようやくこの流れに追いつき、「ハートランド」に関心を向けるようになったのだ。

(訳注:「heartland」もMiddle Americaと同様に海に面していない州を表す言葉)

 

 

 

www.washingtonpost.com