リンゴ・スターが語るドラムプレイ、フランク・ザッパ、そしてサイン(2015年のQ&A形式インタビュー)

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以下は音楽雑誌「Uncut」の2015年7月号に掲載されたリンゴ・スターのQ&A(出典はリンゴ77歳の誕生日である2017年7月7日にウェブサイトに再掲載されたもの)。

 

意外な有名人たちからの質問も含まれており、またリンゴ独特のドラミングの秘密や「Octopus's Garden」の誕生秘話も駆られていて興味深い。

 

 

 

ビートルズの中でもお気に入りの時代はいつ?あと、ビートルズのレコードの中でお気に入りのドラム・フィルインは?(ジェフ・リンからの質問)

いいフィルインはたくさんありすぎるよ!ジェフにとっては、「Free as a Bird」がいつも衝撃のあるフィルインの一つだと思う。

僕には独特のスタイルがある。右利き用のドラムを左利きでたたくからだ。そのためにフィルインのやり方が変わったものになるんだ。

僕はスネア、タムタム、フロアタム、という順番で叩くことができない。フロアタム、タムタム、スネア、の順番でしか叩けない。左手を先に出すからなんだ。だからフィルインは得意だよ。いつも「正しいところ」にフィルインを入れる。つまり、ヴォーカルが歌っているところで叩くようなことは決してしないんだ。

初期のころ、まだ練習していたころは、マイクはほとんどなかった。そこでオープンハイハットを使うようになった。他に誰がやっていたことか知らなかったが、「シュシャシュシャシュシャ」って音がたくさん出せる。いつも好んでやっていた。初期のころのレコードを聴くと、よく(オープンハイハットが)出てくる。

しかし「A Day in the Life」なんかは、僕はあの歌全体が大好きだ。ポールの演奏もジョンのリズムギターもいい。そしてジョージのギターは、時にはどんな歌詞よりも重要だったりする。素晴らしいソロギターだよ。

どれが僕のお気に入りか、ジェフにうまく言えないよ、たくさんありすぎるからね。フィルインをやっている限り、全部が僕のお気に入りだね。

 

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1967年ごろからあなたのドラミング・スタイルが大きく変わっています。とくに「I Am The Walrus」や「Flying」ではあまりシンコペーションを使っていません。あれはどこから来たのですか?(ポール・ウェラーからの質問)

曲がどんどん変わり、僕たちのやり方も変わり、満足感を覚える対象も変わっていった。それらのものがすべて演奏に現れていったのだと思う。自然な流れだったんだ。「この方向に進んでいこう。こうやらせてくれ」ってね。自信のようなものだったと思う。

人生ではある種のことが起こるものだ。彼の言っていることは間違いない。僕のドラミング方法は変わっていった。

唯一変わらなかったのはタイムキーピングだけだ。

それから、4トラックしかなかった60年代前半に比べるとドラムスが良く聞こえてきただろう。たとえばドラムスの部分、ヴォーカルの部分、タンバリンの部分、と言う感じでね。

もし何か消えてしまうものがあったとしたら、それはバスドラムだった。僕はリマスター盤が大好きだよ、僕のプレイが聞こえるからね!

 

あなたのドラムプレイはユニークで大好きです。きっとあなたの直感によるところが大きいと思うけど、あなたに影響を与えたドラマー、あなたが追いつこうと目指したドラマーは誰ですか?(マリアンヌ・フェイスフルからの質問)

いいや、いないね。レコードを聴くときは全体を聴く。「お、これはカール・パーマーだな」なんて言ったことはない。

僕にはドラムのヒーローというのはいなかった。映画館に行ってジーン・クルーパが演奏しているのを見て、なるほどと思う。

僕は自分自身のスタイルを見つけ出した。

興味深いことに、僕が演奏を始めたころには、楽器を持っていればバンドには入れたんだ。上手い必要はなかった。僕たちはみんなで演奏を覚えていった。

だから僕には尊敬するヒーローのようなドラマーはいないんだよ。

 

 

 

アルバム『Postcards From Paradise』に「Rory And The Hurricanes」という曲が入っていています。1950年代後半にバトリンズで行われたロリー・ストーム・アンド・ザ・ハリケーンズとのセッションでの思い出はありますか?

(訳注:「バトリンズ(Butlins)」とは英ウェールズにあるホリデー施設のこと。質問では「1950年代後半」となっているが、リンゴがロリー・ストームらとバトリンズでライヴをしたのは1960年7月)

毎週、見に来る観客が違ったんだ。若い女の子がたくさんいたよ!とても素晴らし時間だった。

あのとき僕たちはいわゆる「プロフェッショナル」になることができて、僕は工場をやめることにした。

バトリンズでは3か月間にわたってギグをやり続けた。こんなことはそれまでなかったんだ。1週間に6夜、「Rock ‘n’ Calypso Ballroom」で演奏した。ときどき午後のセッションもあった。

ホリデーの雰囲気の中だったから、みんな楽しもうとしていた。とても楽しい時間だったよ。

レパートリーは僕たちがハンブルクで演奏していたものと同じだった。1961年、62年のリヴァプールでは、どのバンドも全く同じレパートリーをやっていた。

僕はロリーといっしょに演奏するために、別の2つのバンドといっしょに会場に行ったんだ。しかし、たまたまその2つのバンドのドラマーが両方とも現れなかった。だから僕がドラムキットに座って、全部で6セッションをやり通したよ。自分のバンドで30分、次のバンドで30分、さらに次のバンドで30分。そしてロリーの元に戻る。

僕は彼らのやる曲も知っていたから、結局みんなと演奏したんだ。

 

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映画『The Magic Christian』でのあなたの演技は素晴らしかったです。ピーター・セラーズといっしょに仕事をするのはどんな感じでしたか?

ピーターと一緒に仕事をするのは素晴らしかった。いっしょに楽しいディナーにも行ったことがある。彼は独自のスタイルで、とてもユーモラスな人なんだ。僕たちは友達だったんだよ。

1967年、ビートルズを離れてから、僕はサルデーニャ島に遊びに行った。でもピーターは忙しかったので僕にボートを貸してくれた。僕とモーリーン、そして当時は子供は2人だけだった。みんなでボードに乗って出かけたんだ。あれは素晴らしい時間だった。

ボートの船長と話をしていたら、彼が「オクトパス&チップス」をくれたんだ。何だか分からなかったよ、僕たちは「フィッシュ&チップス」には親しみがあったけどね。彼は海底にいるタコの話をしてくれた。

タコは光る石やブリキの缶を探しに出かけて集め、そういう輝くものを使って自分たちのための庭を造る、っていう話だった。それはどんなに美しいだろう、って思ったよ。そして頭の中で「海の中で、陰に隠れたタコの庭に行きたい(I’d like to be under the sea in an octopus’s garden in the shade.)」って考えていたんだ。

曲なんでどこから来るか分からないものだろう?

 

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1970年のアルバム『Plastic Ono Band』のセッションについて覚えていることはありますか?

あれは素晴らしかったよ。ジョン、クラウス(・フォアマン)、そして僕。今まで聞いた中で最もイケてるトリオのひとつだった。

ジャムセッションのようなことをやった。ジョンが曲を作っていることを知っていたから、それを演奏して、どんなふうに仕上げるかやってみたんだ。

僕たちはもともとクラウスを知っていたしね。ジョンと僕もお互いよく知っていた。だからその場の雰囲気が乗ってくると、僕たちは目に見えないものに動かされるようだった。

いままでレコーディングに参加した経験の中で、最高のもののひとつだったよ。

ジョンと一緒に部屋にいて、彼が率直に、叫んだり、声を張り上げたり、歌ったりするのを聞くだけで、それはすごい時間だったんだ。

 

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映画『200 Motels』でフランク・ザッパと共演したときの思い出は?

初日から素晴らしかった。

オフィスから連絡が来て「フランク・ザッパがあなたに話をしたいって言ってます」という。僕は「うちに来るようにフランクに伝えてくれ」って言ったんだ。

すると彼がやってきて、少なくとも25ページはある楽譜を広げて見せるんだ。「フランク、君は何のためにこんなものを僕に見せているんだい?僕は楽譜が読めないんだよ」って言ったら、「とにかく見せたかったんだ」という。

そして「映画の中で演奏してもらえるかな?」と聞いてきた。

それは簡単なことだし、彼はいい奴だから「もちろん」て答えた。フランクは大好きだったからね。彼とはすでに何度か会ったことがあった。

彼は素晴らしい人物だ。僕が関わる限り、彼の音楽はクレイジーなものだった。でもそれは僕個人の意見だ。

映画の思い出といえば、彼はバンドメンバーを追いかけ、彼らの会話をこっそり録音し、それを歌にかえてバンドに歌わせる、っていうものだった。

彼は本当に楽しい奴だったよ!

 

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ジム・ケルトナービートルズを「あの4人」と呼んでいます。他のバンドにつけるいいあだ名はありますか?

「畜生ども」。これがどのバンドを指すか自分で考えてくれ!

僕とチャーリー・ワッツキース・ムーンの間で競争があっただろうか?ない、決してなかった。

それにビートルズストーンズの間にも決して競争なんかなかったんだ。あれは新聞紙上の話で、主にアンドリュー・ルーグ・オールダムがあの手の話を広めてストーンズを悪ガキとして売り込もうとしたんだよ。

 

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あなたが自分でツイッターアカウントを運営しているのはステキなことですね。ファンの人たちに身近な存在であることは好きですか?あなたが若かったころ、ファンに対してどう接するべきかについてブライアン・エプスタインから言われたことが、どれくらい影響を与えているのでしょうか?

あれはその当時のやり方だったんだ。

僕の家族はみんなファンレターの返事を手伝ってくれた。僕の母はよく「これにサインしてあげなさい」っていっていたよ。過去ずっと、どんなものにもサインしてきた。

でもみんなとっておかないで売ってしまうんだよ。

ニューヨークではピックガードにサインしたら、それを汚いギターにくっつけてeBayに3,000ドルで売り出した人もいた。

だから2010年にサインするのはやめにしたんだ。

前回リヴァプールでオールスター・バンドとライヴをやったとき、おかしなことがあった。コンサートの後、会場の外で車に乗るために出てきたときにある人が「おお、リンゴ、俺はリンゴのファンなんだ。大好きだよ。僕もリヴァプール出身なんだ。これにサインしてくれ!」って言ってきた。

僕が「ごめんよ、もうサインはしないんだ」と言ったら「この※※※野郎!」ってすごく汚い言葉でののしったんだよ。

彼は僕のファンなんじゃない、単に何か売るものを欲しかっただけなんだ。

 

 

 

www.uncut.co.uk