チャック・ベリーはロックンロールだけでなく「ソングライティング・ビジネス」のパイオニアでもあった

 

 

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チャック・ベリーはそのキャリアの初期に、いくつかの悔しい経験をしてきた。

 

その結果、音楽ビジネスを熟知することになったベリーは、最終的に1,700万ドルを超える音楽資産を含む遺産を残すにいたった。

 

このベリーの所有する会社「Isalee Music Publishing Company」によって管理されている曲の出版権だけでも1,300万ドル以上にのぼり、加えてレコーディング・アーティストとしてのロイヤルティで年間50万ドルがベリーのもとに流れてくるのである。

 

 

【苦い経験】

ベリーが音楽業界の信頼できない複雑さに直面したのは、彼がチェス・レコードと契約を結んだときであった。

 

このとき彼は、「Arc Music」という出版会社とも契約を結んだ。

 

Arc Musicはチェス・レコードの創設者兄弟の一人であるレナード・チェスが所有している音楽出版会社であった。

 

ベリーは初めて著作権証書を受け取ったとき、あることに気づいた。

 

彼の最初のヒット曲「Maybellene」について、ラジオDJのアラン・フリードにも共同作曲者としてのクレジットが与えらていたのである。

 

フリードはこの曲をヘビーローテーションでオンエアし続けたDJであり、またチェス兄弟のビジネス仲間でもあった。

 

「私は音楽出版の契約条項のほとんど理解していなかった。歌のレコーディングとともに、歌を書くことに対しても対価が支払われるということを知らなかったのだ」とベリーは自伝『Chuck Berry: The Autobiography(チャック・ベリー自伝)』に記している。

 

 

「当時の多くのアーティストたちと同様に、ベリーも初期のころ、うまく搾取されてしまった、と感じていた。それからは、自分がサインをする契約について十分な知識を得るようになったのだ」と弁護士のギャリー・ピアーソンは語る。

 

ピアーソンはベリーが亡くなる直前の2年間、彼の音楽業務を任されていた弁護士である。

 

 

【徹底した「ビジネスマン」】 

ベリーは、支払いが間違いなく行われるように執拗な一連のチェックを行うようになった。

 

バンドといっしょに機材を運びながらツアーをするよりも、現地のミュージシャンたちをバックに演奏することを選んだ。

 

さらに、自分の要求に従わないプロモーターにはペナルティを課す、という項目をツアーの契約事項に盛り込んだ。

 

現金払いを主張したことでも知られている。

 

ソニー・ミュージック・エンタテインメント社のダグ・モリスによると、1970年代後半にベリーがアトコ・レコードと契約する際にはドル建てで支払いをしなければいけなかった、と回想している。

 

また60歳を記念して製作された映画『Hail! Hail! Rock ’N’ Roll(ヘイル!ヘイル!ロックンロール)』のときには、出演の前に2,500ドルを紙袋に入れて持ってくるよう主張した、という有名な逸話も残っている。

 

 

 

【同じ犬に二度噛まれない】

ベリーは「同じ犬に二度嚙まれちゃダメよ」と母親から教わっていた。

 

最初のチェスでの経験を経てから、彼は母の教えに従ってより条件のいい契約を目指して交渉するようになり、ついには1972年のヒット曲「My Ding-a-Ling」(ベリー唯一のビルボードNo.1ヒット)の著作権について25万ドルの小切手を受けとるまでに至った。

 

当時の25万ドルは、現在の150万ドルに相当するという。

 

また彼は不動産に多額の投資をしている。

 

ミズーリ州ウェンツヴィルにある30エーカー(12万平方メートル)を誇る「ベリー・パーク」もその一つだ。

 

ベリーの代理人弁護士を数十年にわたって務めたマーティン・グリーンは「彼は自分自身で多くの契約の交渉をしていた。他の多くのミュージシャンがやる以上に、彼は自分のビジネスを取り仕切っていたんだ」と語っている。

 

ベリーのもう一人の弁護士であり、ピアニストとして共演もしたことがあるボブ・ボールドリによると、ベリーは1980年代や90年代にかけて年間100近くのコンサートを行っており、1回のコンサートで2万ドルから3万5,000ドルを稼いでいた、という。

 

ボールドリは、ベリーの遺産は「控えめに見積もって」5,000万ドルであるだろう、と述べている。

 

 

【今でも稼ぎ続けるベリーの遺産】

ベリーはそのキャリアの間におよそ200曲を書き上げ、そのうち約半数については彼の遺産管理団体が直接保有している。

 

しかしこの保有分のほとんどは、彼が商業的な成功をおさめた後に書かれたものだ。

 

チェス・レコード在籍時に書いた曲のレコーディングは、ユニヴァーサル・ミュージック・グループが保有しており、その出版権はBMGとベリーの会社である「Isalee Music」が管理している。

 

ベリーの保有する出版権は、彼自身のレコーディングからカバーまで含め、アメリカ国内で年間36万ドルを稼ぐ価値がある。

 

国外の分も含めるとこの数字は年間50万ドルに近づく計算になる。

 

一方、彼の曲からの出版収入は年間110万ドルに達する、と見込まれている。

 

もし遺産管理団体がベリーの出版権を売却するとしらた、この種の権利財産は通常年間収益のおおよそ12倍の値が付けられるため、約1,350万ドルになる可能性があるのだ。

 

チャック~ロックンロールよ、永遠に

 

 

 

 

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