ビートルズ『リボルバー』50周年 ジャケットを描いたクラウス・フォアマンが当時の思い出を語る

ザ・ビートルズは1966年8月5日、7枚目のアルバム『Revolver』をリリースした。

 

ビートルズ最高傑作のひとつとして数えられるこのアルバムは、収録曲だけではなく、独特な雰囲気をかもし出すそのアルバム・ジャケットも歴史的な存在感を持っている。

 

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このアルバム・ジャケットを描いたのが、画家でベーシストのクラウス・フォアマン。

 

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ハンブルク時代からビートルズのメンバーと親交を重ね、1970年代になってからもジョンのPlastic Ono Bandやアルバム『Imagine』、ジョージの「The Concert for Bangladesh」にベーシストとして参加するなど、ビートルズファンにとってはお馴染みの存在である。

 

『Revolver』のリリース50周年を機に、現在78歳のクラウスはイギリスの新聞「The Guardian」に当時の思い出を語った。

 

www.theguardian.com

 

 

 

思い出はしっかり残っているよ。

みんなからあの時のことを聞かれ続けてきたからね。

このジャケットを作った場所も思い出す。

アパートの3階にある小さな屋根裏部屋のキッチンで作ったんだ。

ハムステッド(ロンドン市内の住宅街)にあるParliament Hillというところで、私はその部屋で寝泊まりしていた。

最近その家に行ってみたんだが、建物は全く変わっていなかったよ。

 

1966年はビートルズが本当に多忙になった時だった。

アルバムを次から次へと作り出していた。

もうその頃のビートルズたちは、スタジオのコントロールルームの中で様々な音づくりをしているほうが、それまでと同じことを続けるよりも幸せに感じていたのだ。

ドイツでのツアーに続いて日本公演も控えていた。

彼らには新しいレコード ― のちにRevolverと呼ばれるそのレコード ― のために使える時間は数週間しか残っていなかった。

数週間後にはすぐにツアーに出ることになっていた。

 

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(1969年のプラスティック・オノ・バンド。一番左がクラウス)

 

ジョンから電話をもらった。

「新しいアルバム・カヴァーのために何かアイデアはないかい?」

私は「まじか!世界で一番有名なバンドのアルバム・ジャケットをやるのか!」と思ったよ。

こういう時になると、ビートルズなんて昔はリヴァプール出身のだらしない小僧たちだったなんてことを忘れてしまうものだ。

そして「何てことだ、俺には出来ない!」なんて考えてしまった。

 

結局、ビートルズたちは私にアビーロード・スタジオに来るように言ってきた。

あのアルバムの3分の2ほどのレコーディングをすでに終えた時だった。

その音楽を聴いたとき、私はショックを受けた。

とても素晴らしかったからだ。

驚くべきものだった。

 

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バングラデシュのコンサートでベースを弾くクラウス(左))

 

最後に聴かせてくれたのが「Tomorrow Never Knows」だったので、怖かったね。

Tomorrow Never Knows」は初期のビートルズの曲からは程遠いものだった。

だから普通のビートルズファンはこのレコードを買わないだろうとすら思ったものだ。

 

アルバム・ジャケットを仕上げた時、ブライアン・エプスタインは私のデザインにとても感激してくれた。

「クラウス、君の作ったものは私たちが本当に必要としていたものだよ」と私に言ってくれたんだ。

「私はビートルズの新しい音楽がファンたちに受け入れられないのではないかと心配していた。しかし君のジャケットがその橋渡しをしてくれたよ」。

 

 

 

ジャケットを完成させるのに3週間ほどかかった。

しかし本当に集中して作業したのは1週間くらいだった。

白黒のデザインを選んだのは、衝撃的なものを作りたかっただけでなく、カラフルなものの中でこのアルバム・ジャケットが目立ってほしかったからだ。

 

『Revolver』のジャケットにサイケデリックな影響が見えるって?

さて、ではサイケデリックとはなんだろう?

ブリューゲルやヒエロニムス・ボス(*)を見てみたまえ。

彼らは本当にすごい画家たちだ!

彼らがマッシュルームとかそういった類のものを食べていたかどうか私は知らないがね。

しかし私たちの内面にあるものが何であれ、それはドラッグによって表出するわけではない、ということよく分かっているんだ。

(*「ブリューゲル」は16世紀フランドル(ベルギー)の画家。「ヒエロニムス・ボス」はルネッサンス時代のオランダの画家)

 

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(アルバム『Imagine』レコーディング時のクラウス)

 

このジャケットを描いて50ポンドか40ポンドをもらった。

たとえタダでも、私はこの仕事をやったと思う。

私は「お前たちは俺にこれこれの金額を払わなくちゃダメだ」なんてことを言って彼らを困らせるような気分にはなれなかった。

EMIレコードはアルバム・ジャケットには50ポンドの支払いが上限だと言ってきた。

だから私はその額を払ってもらったんだ。

もちろん「ブライアン、もしこのジャケットがすごくいいと思うなら、お金を持ってきな」なんてことを考えることも出来ただろう。

でもブライアンはEMIにジャケットの支払いを任せていたんだよ。

 

※なお、この記事によると次の『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』のジャケットを担当したピーター・ブレイクとヤン・ハワースには200ポンドが支払われたという。