ボブ・ディラン60年代最後のツアー ファッションや楽器にもあらわれたその「変貌」
1966年2月4日、ボブ・ディランはアメリカのケンタッキー州からライヴツアーを開始した。
北米、ハワイ、オーストラリア、ヨーロッパと5月末まで続くワールドツアーの始まりである。
このツアーがディランにとって、アコースティックとエレキの両セットを聴かせる最初のコンサートツアーであり、また1960年代最後のツアーとなったということはよく知られている。
さらには、5月17日に行われたイギリス・マンチェスターのフリー・トレード・ホールにおいて、観客の一人に「Judas!」と野次を飛ばされるという出来事も、ロックの歴史に残る事件であった。
このツアーはディランの、そしてロックの歴史が大きな変化を遂げた出来事であったが、変わったのは音楽だけではなかった。
THE DIG Special Edition ボブ・ディラン ザ・カッティング・エッジ1965-1966 (シンコー・ミュージックMOOK)
【ファッション】
ディランのファッションも、それまでのスタイルから少しずつ変化した。
ステージ上では、ディランはいわゆる「ハウンドトゥース」と呼ばれるスーツを着用する。
ステージ以外では、ダブルのウェストコートを着用している姿がよく見かけられた。
これは『Blond on Blonde』のジャケットでおなじみのスタイルである。
また靴は「チェルシーブーツ」と呼ばれる靴を履くことが多かった。
これは当時ビートルズが履いていたことから通称「ビートルブーツ」などと呼ばれており、60年代ロンドンを象徴するファッションのひとつであった。
実際、当時ディランの撮影を担当していた写真家バリー・ファインスタインによると、ロンドンのカーナビー・ストリート(ファッション関連の店が多い繁華街)にはディランお気に入りの店があり、スーツも靴もこれらの店の商品であったという。
【楽器】
アコースティックギターはギブソンの「ニック・ルーカス・スペシャル」を使用していた。
これは1920~30年代に活躍したジャズ・ギタリスト、ニック・ルーカスにちなんだギターである。
ディラン愛用のこのギターはオーストラリアを周っている途中に破損してしまい、修理に出された。
修理中は借り物のギターでステージをこなし、10日ほど後のヨーロッパツアーでようやく修復されたニック・ルーカス・スペシャルが復活したという。
またフェンダーのアコースティック「キングマン」もこのツアーに携帯していたことが分かっているが、ステージで使用した様子はない。
エレキギターは、1965年製のフェンダー・テレキャスターを使用していた。
ボディは黒で、ネックはメープルキャップである。
このギターは、当時ディランのバックでギターを演奏していたロビー・ロバートソンに譲り渡された。
ロバートソンはその後1970年代半ばまでザ・バンドでこれを使い続けており、アイル・オブ・ワイト・フェスティヴァルやウッドストックなどで使用している。
現在でもこのギターはロバートソンの手元にあると伝えられている。
また、このツアーで初めてステージに登場したのはエレキギターだけではない。
ディランはピアノの演奏も始めたのである。
beatleg magazine 1月号 (vol.186)
【「序の口」にすぎなかったディランの変貌】
現在までのディランの変貌ぶりを知っている我々にとっては、『The Freewheelin’』から『Blonde on Blonde』までの変化は文字通り「序の口」であり、あくまで初期のディランの歴史の一部にすぎない、とすら感じる。
しかし当時の、とくにコアなフォークファンにとっては、ディランの変貌ぶりは「嘆かわしい」ものであった。
ツアーはロンドンのロイヤル・アルバート・ホールでの2夜連続の公演で幕を閉じる。
このロンドンでの公演では途中退席者が最も多く出たとも言われている。
ビートルズのメンバーも観客に混じって見に来ており、その時の様子を目の当たりにしたジョージ・ハリスンは、ディランの演奏中にヤジを飛ばしたり退席したりする観客たちを「愚かな連中だ」と非難した、と伝えらえている。
ディランは、このときの自分の音楽は「視覚にうったえる音楽・・・数学的な音楽だ」と述べており、当時主流であったロック音楽に寄り添おうとしたものではない、と考えていた。