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ジャック・ブルース 一周忌 「Ultimate Guitar」に掲載された生前のインタビュー(前半)

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ジャック・ブルースは2014年10月25日、71歳で死去した。

 

以下は彼の死の数週間後に、ウェブサイト「Ultimate Guitar」に掲載されたインタビュー(抜粋)である。

 

www.ultimate-guitar.com

 

「近年のインタビュー」とされているが、インタビューの行われた正確な年月は 記載されていない。

(『Goodbye Cream』リリースから40周年などという言葉も出てくることから、2009年以降に行われたものと推測する)

 

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Q. あなたのキャリアがこれほど(音楽的に)多岐に渡るだろうということは感じていましたか?

最初はジャズに関わりたかっただけだった。全てはそこから始まったんだ。はじめから大きな計画があったわけではない。

 

 

Q. 「NSU」はロック音楽の作曲家としてのキャリアの大きな転機となった曲なのですか?

そうだね。クリームのために私が書いた最初の曲だった。曲も歌詞もいっぺんに書くことができたんだ。クリームの最初のリハーサルでこの曲をやって、歌として完成させた。

そしてこの曲が、その後でも曲を書くときに使うある種のテンプレートのようになったんだ。進むべき方向を見つけたといってもいいだろう。パンクロックの初期のバージョンのような感じで、10年先を行っていた曲だったといってもいい。

 

 

Q. あなたは今までジンジャー・ベーカーと一緒に演奏したことが何度もありました。またエリック・クラプトンともジョン・メイオールのバンドやパワーハウス・プロジェクトで一緒に演奏していましたね。

エリックと一緒に演奏するのは楽しかった。ジョン・メイオールのバンドで演奏するのはそれほどでもなかったよ。それほど楽しいことは起きなかった。でもパワーハウスとのセッションはとても楽しかった。今でもよく覚えているよ。

(注:「Eric Clapton and the Powerhouse」は1966年に一時的に活動したロック・プロジェクト。詳細はこちらの記事参照「エリック・クラプトンが60年代にカバーした「Steppin' Out」という曲 - ロックの歴史を追いかける」。)

 

 

Q. スティーヴ・ウィンウッドもメンバーの一人でしたね。

スティーヴ・ウィンウッドもいたし、そのほかの人もいた。ベン(・パーマー)も一緒にキーボードを弾いていたが、その後クリームのロードマネージャーになったんだ。

 

 

Q. 「Sunshine Of Your Love」はあなたの書いた曲でも最も知られているものですが、どこからその着想を得たのですか?

「Sunshine…」は一発で出来上がった感じだった。いろいろなことがひとつにまとまって現れた感じだ。ある朝突然出来上がった、という気がする。

 

 

Q. この曲でヴォーカルを交代で歌うというのはあなたのアイデアだったのですか?

あの歌い方にするのが誰のアイデアだったかは覚えていない。でも私たちの歌にはああいう感じのものが多い。だから曲をつくっている途中であのスタイルになったんだと思う。

私がソロで歌ってもよかったけど、ハーモニーのパートなどもあった。だから意図せずにあのスタイルになったんだろうね。

あの曲では、まずリフが先に出来た。ダブル・ベース(アコースティック・ベース)であのフレーズを弾いてみた。そしてこれは曲になるべきリフだと感じ、時間をかけて形にしていった。そしてエリックが展開部分を書いて持ってきたんだ。

 

 

Q. それは「I've been waiting so long」と歌うところですね?

そうだよ。その分が継ぎ足された感じになった。私たちは単にリフをさまざまなバリエーションで歌っていたんだ。リードヴォーカルを分けて歌おうといったのが誰だったかは覚えていない。自然とそうなったんだ。一緒に歌ったほうがよく聞こえたんだよ。「I Feel Free」のようにエリックと私が一緒に歌うというスタイルだ。

 

 

Q. 「I Feel Free」も素晴らしい曲でした。

「I Feel Free」をクリームで演奏したとき、とても気に入ったのを覚えている。4トラックでのレコーディングだったから、思い通りに出来たわけではなかった。

ジンジャーは自分のドラムの音にとても不満だった。「もう一度レコーディングし直そう」とジンジャーが言ったから、「もうやらないよ。またやるのは断るぜ」と言ったんだ。「さっきのテイクは上手く行った。よく出来たテイクだったんだから、もう一度やろうとしても同じ調子では出来ないだろ」と言ったよ。それで私たちはこの曲を二度とレコーディングしなかった。

もし全体で上手くできたのなら、たとえ自分のパートが最高の出来じゃなくても、ある意味妥協しなくちゃいけない。もう一度やり直して別のテイクをとっても、満足する人より不満に感じる人が多いようじゃ駄目だからね。

 

 

Q. それはいわゆる「ジャック・ブルース vs. ジンジャー・ベーカー」の典型的な出来事ですか?

彼は大体いつも満足していた。(上記の「I Feel Free」のレコーディングは)ロンドンの小さなスタジオでプロデューサーなしで行われたんだ。私がプロデューサーの役割を果たしていたと思う。ジンジャーの演奏が実は素晴らしいものだったということを彼にわかってもらうのは、とても難しかったんだ。

 

 

Q. 演奏をしていて、自分で何か特別なものが得られたと感じ取ることができるのですね?

そう、感じ取ることができたんだ。それをとても誇りに思うよ。あれは私が初めてポップソングの作曲に挑戦したものだったし、歌の出来にも満足している。いまだに当時の私の努力に報いてくれている曲だ。

 

 

Q. 『Disraeli Gears』や『Wheels of Fire』には、たとえば「As You Said」や「Doing That Scrapyard Thing」「Deserted Cities of the Heart」といった曲が収録されており、これらの曲から和音構成などが大きく広がって行きました。チェロやキーボードなど、いろいろな楽器をを取り入れています。もしクリームがもう一枚スタジオ・アルバムを作っていたら、こういった曲と同じ方向性を持った音造りになっていたのではないでしょうか?

そうかもしれないね。でもあの頃がまさにバンドがそれぞれ別々の方向に向かい始めていたときだったと思う。まだバンドとしてはクリームのままだったけどね。「As You Said」なんかは、私がたんにアコースティック・ギターとチェロを弾いて、ジンジャーがハイハットを叩いているだけなんだ。エリックはあの曲に参加していない。

 

 

Q. 彼はまったく参加していないのですか?

してないよ。つまり、あれが私が当時向かおうとしていた方向だったんだ。私はあのような異なる和音を使ったアイデアや、ギターの変則チューニング、そして異なるタイプの曲を考えていた。

私は明らかに自分個人が目指す方向に進みたがっていたんだ。だから当時の私の志向がクリームの作品として成り立つかは分からない。

私たちがバンドとしての曲作りを発展させていかなかったことが、クリームの問題の一部だったと思う。

 

 

Q. 後にソロアルバム『Songs for a Tailor』に収録される曲のいくつかを、実際にクリームのメンバーに聴かせたりしたのですか?

聴かせたことがあるよ。「Theme for an Imaginary Western」が出来てからバンドに聴かせたが、断られた。残念だったよ。いいバージョンができたかもしれないのに。

Songs For A Tailor  

 

 

 

Q. その時のデモテープは残っていますか?

どこかにデモが残っていると思う。

もしかすると私が演奏して聴かせたのかもしれない。ピアノで弾いて聴かせたから、なんだか分からなかったのかもしれない。楽譜が読めるととても役に立つから、いつも私は曲を楽譜に書いてきた。だからその曲のアイデアをみんなに分からせるのは難しかったのだ。

エリックは楽譜が読めないから、曲がどんな感じなのか説明してあげる必要があったんだ。ギターの曲の場合は説明しやすい曲もあった。しかし「Theme...」などの場合は難しかった。だからきっと私が演奏して聴かせたんだと思うが、クリームの曲としてはとても聞こえなかったんだろうね。

あの曲をクリームでやらなかったのはとても残念だが、私のソロ『Songs for a Tailor』に収録することができた。

 

 

Q. あなたは今まで、ジミ・ヘンドリックスビートルズローリング・ストーンズをカヴァーしたことがありましたが、彼らからの影響というのはあるのでしょうか?

影響を受けていると思う。所期のビートルズはあまりファンじゃなかった。当時私はジャズにのめりこんでいたからね。しかしビートルズはどんどん進歩していった。そうして彼らのレコードが出るたびに気に入っていったんだ。

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(1997~98年にかけて、ジャック・ブルースリンゴ・スターのオールスターバンドに参加していた。)

 

 

Q. 実際、ジョージ・ハリスンと共演していますよね?

ジョージとは『Songs for a Tailor』で共演した。彼は「Never Tell Your Mother She's Out of Tune」で演奏しているよ。

 

 

Q. レッド・ツェッペリンに加入するよう要請があったのですか?

ちょうどクリームが解散した直後、私はロンドンに住んでいた。ジョン・ポール・ジョーンズが連絡してきて、(ツェッペリンに)参加する気はあるかと聞いてきたんだ。たぶんツェッペリンはジョーンズにもっとキーボードを弾くことを求めていた、というような理由だったかと思う。

私は答えた「声をかけてくれてありがとう。でも、私はちょうど数年がかりのツアーが終わったばかりなんだ。だからもしすぐにまたツアーに出ることになるなら、参加できないよ」。

またツアーなんかしたくなかったし、まったく同じことを繰り返しても、もっと悪い結果になるだけだろう。私はすでに結婚していて、最初の子供と家庭があった。数年間にわたるツアーなどの多忙な生活のあと、私はもっと家族生活を楽しもうとしていたんだ。

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Q. クリームの再結成ツアーでは、大きなスタジアムでも演奏しましたが、どんな感じだったのですか?

おお、あれは素晴らしかった。

私はそれまでとても健康状態が悪かったから、がんばって体調を整えなければいけなかった。それが私にとって本当にモチベーションとなったんだ。なぜならあの再結成ツアーのオファーをもらったとき、私は昏睡状態だったんだからね。

私は話したり、歩いたりする訓練をし、それから歌う訓練をする必要があった。実はあのとき、私はまったく声が出なくなっていたんだ。治療には長い時間がかかったし、私は必ずしも準備万端ではなかったが、それでもベストを尽くすことにした。もしかしたらもう数ヶ月長く治療を続けることができたかもしれない。しかしあのときが私に与えられた機会だったから、がんばったよ。それに上手くいったしね。

昔と同じ機材を持ち込んで、組み立てた。エリックはギブソンを弾いて、私はEB-3とマーシャルで演奏したが、音はひどかったね。

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Q. ジンジャーやエリックと一緒に演奏するのはいい気分でしたか?

とてもよかったよ。まるで私たちは今までずっと一緒に演奏してきたかのようだった。完全にふつうに、自然に感じることができたんだ。

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Q. ジンジャー・ベーカーは気難しい人ですが、ジンジャーとの緊張感のある関係は、クリームが作り出した素晴らしい音楽のマジックに関係していると思いますか?

そうだね。多くのバンドで同じようなことがあると思う。メンバー間の緊張が高まっているバンドはたくさんある。クリームだけではない。

 

 

Q. 今までのキャリアを思い返してみたとき、あなたが笑顔で振り返れる時間をひとつ上げるとしたら、いつですか?

取り立ててひとつ特別なものを選ぶことは出来ない。クリームの再結成は当然のことながらとても素晴らしかったし、クリームというバンドで活動できたこと、ヒットシングルやヒットアルバムを出したこともとても重要なことだ。最初に行った大きなライヴも特別な思い出になるだろう。こういう全てのことが特別なんだ。ロックの殿堂にインダクトされたこと、グラミーのライフタイムアチーブメントを受賞したこと、全て素晴らしい。

しかし結局、私にとっては音楽なんだ。毎晩演奏する、演奏する機会を与えられる、そうすると自分は実にラッキーだということに気づく。今でも音楽を続けることができ、演奏を頼まれるということが素晴らしいことなんだ。だから私はとても満足しているよ。

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(1993年、ロックの殿堂にインダクトされた際に勢ぞろいした3人。) 

 

 

Q. 今の音楽についてどのような感想を持っていますか?

素晴らしい演奏家もいるし、素晴らしいバンドもいる。しかし今までと同様のオリジナリティや、素晴らしいものが生み出されてきたときの衝撃のようなものは、今はない。レディオヘッドのアルバムは聴き心地の良いアルバムだが、私たちを根本から揺るがすようなことはない。しかし優れたバンドや優れた演奏家がいることは事実だ。

 

 

 「ジャック・ブルース 一周忌 「Ultimate Guitar」に掲載された生前のインタビュー(後半)」に続く。