ジョン・レノン 生誕75周年

 

f:id:musique2013:20151009160323j:plain

 

2015年10月9日、ジョン・レノン75回目の誕生日。

 

アメリカの「The New York Times」紙は、ジョンが『Double Fantasy』をリリースしたころに同紙に掲載された記事を引用しながら、まさに「スターティング・オーヴァー」したばかりの彼の様子を回想している。

 

When John Lennon Was Starting Over(The New York Times

 

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

 

ジョン・レノンは金曜日で75歳になるはずであった。

 

1980年12月8日、マンハッタンのアッパー・ウェスト・サイドにあるダコタ・アパートメントに入るところを狙われ殺害されたとき、ジョンは40歳の誕生日から2ヶ月が経過していた。

 

ジョンは音楽業界から5年間離れており、その間のほとんどをニューヨークで主夫として、また父親として静かに暮らしていたが、その彼がレコーディングをまさに再開したところだったのである。

 

アルバム『Double Fantasy』はオノ・ヨーコとの共同制作であり、レコード店に並んでからまた1ヶ月も経過していなかった。

 

アルバムからのシングル「Just Like Starting Over」は、まさにそんな状況を語っていたのである。

 

この「再出発」の様子は、命日よりひと月前の11月9日付「ニューヨーク・タイムズ」紙に記事として載っている。

 

この記事は『Double Fantasy』制作最中から完成の時期にかけて、ジョンとヨーコに行った連続インタビューをベースに書かれたものであった。

 

物思いにふけるジョンがこのように語り始めるところから、この記事は始まる。

 

「家族と子供を中心とした生活をしながら、かつアーティストであり続けることは可能か?」

 

そしてジョンは自分の質問に自分で答える。

 

「ある意味、私たちはある種の実験に取り組んでいるところなんだ。家庭生活は、アルコールやドラッグの代わりに、アートをインスパイアすることが出来るのだろうか?私はその答えを見つけ出すことに興味があるのだ」

 

ほかのインタビューでジョンはこうも語っていた。

 

「私がこの5年間聴いてきたのが何か知ってるかい?音楽だ!私が家でやっていた家事の最中に聴くには、音楽は完璧なものだった」

 

「“彼は40歳になったから、穏やかになったんだ”と人は言うだろう。そうかもしれない。でも私にはそんなこと関係ないのだ。歳をとったら人柄が変わる、という考えには、何かしらおかしなところがある。でもこの世の中は、そんなおかしな考えがまかり通るくらい馬鹿げているんだ。もし若い連中がそんなこと言っているなら、本当に頭が鈍いんだろう」

 

「40歳になったために私が経験する変化が何であれ、私はそれに感謝している。その変化のおかげで、私が今まで生き抜いてきた狂気を理解する力が与えられたのだからね」

 

ジョンの息子ショーンは当時5歳。

 

彼がずっとニューヨークで育てられたのか、はっきり分からない。 ジョンもヨーコもアメリカの永住権の許可を求めて、当局と争っていたからである。

 

しかしショーンの幼年時代、ジョンは永住許可を獲得し、最後のハードルが克服できた。

 

ジョンにはマリファナ所持による有罪確定という過去があったため、場合によっては国外追放になる可能性もあったのである。

 

「ニューヨークはユーラシアの子供(ヨーロッパとアジアのハーフ)を育てるには最高の場所だ。この都市は人種のるつぼで、どこに行っても(人種によって)あれこれ言われることはないんだ」と1976年、永住権申請についてのヒアリングの際に述べている。

 

永住権獲得を報じた当時の記事は、「Yesterday」の歌詞をパロディにして、こう始まる。

 

“Yesterday, all of John Lennon’s troubles seemed so far away, and now it looks as though he’s here to stay.”

「昨日まで、ジョン・レノンのトラブルは全て遠くかなたにあるように見えた。そして今、彼はこの地に定住したように見える」

 

しかし、彼はもうこの世にいないのである。