ポール・マッカートニーと「ライヴ・アット・ブドーカン」というイベントの歴史

 

 

先日ポール・マッカートニービートルズ来日公演以来49年ぶりに日本武道館でライヴを行った。

 

これは日本のみならず、世界の音楽ファンの間でも特別な記念すべきイベントとして受け取られているようである。

 

多くのメディアでは武道館を「the iconic venue」(歴史的な会場)と紹介しており、単に「ビッグアーティストがアリーナ規模の会場で行う“小規模”コンサート」としてではなく、それ以上の意味が込められているように見受けられた。

 

【ライヴ会場としての「ブドーカン」】

日本武道館で初めてライブを行ったのは言うまでもなくザ・ビートルズである。

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http://u-s-ke.blog.so-net.ne.jp/2009-12-17

 

また武道館でもっとも多くライヴを行っている海外アーティストがエリック・クラプトンであることも、これまた言うまでもない周知の事実である。

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http://www.clapton.ne.jp/htm2/clpjt_j.htm

 

しかし海外で「ブドーカン」の名前が知られるようになったのは、1970年代後半にリリースされた2枚のライヴアルバム以降のことらしい。

 

一つはチープトリックの『Cheap Trick at Budokan』である。

 

1978年4月に武道館で行われたライヴを収録したこのアルバムは、その年の10月に日本のみでリリースされた。

しかし日本からアメリカに逆輸入され本国でも人気に火が付いたため、翌年2月にアメリカでもリリース。

ビルボード・アルバムチャート4位を記録、300万枚を売り上げる大ヒットとなった。

 

もう一つはボブ・ディランの『Bob Dylan at Budokan』である。

 

こちらも1978年2~3月に武道館で行われたライヴを収録し、その年の8月に日本のみでリリースされた。

やはりチープトリックの場合と同様に逆輸入が止まらず、結局翌年の3月にアメリカを始め世界でリリースされる。

アメリカの批評家たちからは酷評されたアルバムであったが、全米チャート13位、全英チャート4位を記録する大ヒットとなった。 

 

 

 

エリック・クラプトンの場合】

エリック・クラプトンが武道館公演のライヴアルバムをリリースしたのは、この後である。

 

Just One Night』(1980年リリース)と題されたこのアルバムは、1979年に行われた来日公演を収録したものだ。 

1979年の来日公演はすでにクラプトンの通算4回目の来日であり、その4回全てに武道館での公演が含まれていた。

そんなクラプトンにとっての武道館公演は「just one night」(単なる一夜)に過ぎないのかもしれない。

 

このライヴアルバムをリリースしたとき、クラプトンは「東京のオーディエンスはむしろ過剰なまでに喜んでくれるんだ」と、武道館でのライヴが自身を含めた海外のアーティストたちに好まれる理由を述べていた。

 

【ディープ・パープルの場合】 

もう一つ忘れてはならないのが、ディープ・パープルの『Made in Japan』である。

 

上記のどのアルバムよりも早くリリースされ(イギリスでは1972年12月)、「live in Japan」という一つのカテゴリーを作り上げた作品であった。

 

1972年8月に大阪で2回、東京で1回、合計3回行われたライヴをレコーディングしたが、このアルバムに収録されているトラックは、ほとんどが大阪フェスティバルホールで録音されたものである。

予算と用意された機材に限界があったため、録音状態にむらがあり、武道館での演奏は「The Mule」と「Lazy」の2曲のみがアルバムに収められた。

 

しかしながら、ディープ・パープルのメンバーたちは1972年8月17日に行われた日本武道館でのライヴを最も気に入っていたと伝えられる。

ベースのロジャー・クローヴァーは「Child in Timeを演奏していたとき、1万3千人の日本のオーディエンスたちがいっしょに歌ってくれたんだ。あれは私たちのキャリアで最も素晴らしい出来事のひとつだった」と語り、ヴォーカルのイアン・ギランも同様のコメントを残しているという。

 

 

 

ポール・マッカートニーの場合】

2013年11月に来日したときのインタビューで、ポールはこう語っている。

 

あの時、もしビートルズが武道館で演奏するようなことがあったらハラキリ(切腹)するぞ、と騒ぎ出した人もいた。

 

一部では、「エレキギターを持っているようなイギリスの不良グループが神聖なる武道館に足を踏み入れるようなことは許されない」と主張するものがあらわれたのである。

 

3万5千人の警察官が動員され、ビートルズのメンバーはホテルと武道館の間を行ったり来たりするだけの滞在となった。

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このインタビューと同じ2013年にリリースした曲で、ポールはこうも歌っている。

 

All my life I never knew what I could be, what I could do

Then we were new 

僕はいつだって自分がどうなるか、何ができるかわかっていなかった

その時は僕たちが初めてだったから

 

(「New」より)

 

ビートルズが歴史的な存在として50年後も聴き続けられるということ、そして武道館がライヴ会場として確立するということは、当時は誰も分かっていなかった。

 

それは彼ら、つまりビートルズも日本のオーディエンスも、その時は初めてだったからである。

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2015年4月28日のポール・マッカートニー武道館公演は、単なる“ビートルズ懐メロ大会”などでは決してなかった。

 

かつては「NEW」であったことが、半世紀後にはひとつの歴史となったということ。その事実を確立してきたポール本人が、私たち日本のオーディエンスと証明した一夜だった。

 

まさに本人が最後に言ったとおり「a legendary night」だったのである。