ジェフ・ベック 70歳の誕生日に掲載された「ギター・ワールド」誌インタビュー(その3)
Q. 過去のインタビューで、あなたは自分の演奏スタイルはヴォーカリストたちにインスパイアされたものだと言っていました。
ほかの楽器、たとえばペダル・スティール・ギターなどにも影響を受けていますか?あなたがスライドを使ったり、ヴォリューム・コントロールを多用したりしているのを見ての質問です。
もちろんそうだ。私はストラトキャスターでお手軽なペダル・スティール・ギターを演奏しているのだ。
私が聴いていたのはスティール・ギターのスピーディ・ウェストとギターのジミー・ブライアントだった。
(注:スピーディ・ウェスト(1924~2003)はアメリカのペダル・スティール・ギタリスト。ジミー・ブライアント(1925~1980)はアメリカのセッション・ギタリスト)
Stratosphere Boogie: The Flaming guitars Of Speedy West and Jimmy Bryant
残念ながら実際のスティール・ギターの構造は異なっているため、普通のギターで同じ音を再現することはとても難しい。だからといってスティール・ギターを聴かなくなるはずはないし、スタイルの一部を取り入れないということにはならない。
今はブルース・カファンという演奏家がいるが、彼は素晴らしいよ。
Q. あなたをはじめとして、エリック・クラプトン、ジミー・ペイジ、ミック・テイラー、ピーター・グリーンなど、1960年代中盤のイギリスには優れたギタリストがたくさんいました。
皆さんはそれぞれほかのギタリストのキャリアを意識していたのですか?また良く一緒に演奏しましたか?
頭の中ではお互いみんながつながっているような気分になっていて、ほかのギタリストが何をやっているか気にしていたが、実際はいつも一緒にいたというわけではなかった。
エリックは私からそれほど遠くないところに住んでいた。ジミーが住んでいたのもあまり遠くないところだったが、彼がヤードバーズにベーシストとして加入するまでは、会うことはほとんどなかった。
イングランドはとても小さい。だから私たちがみんなバッキンガム宮殿に一緒に住んでいると思っている人たちが多い(笑)。だが私たちが顔を合わせるのは本当にまれだった。
私は1965年2月にヤードバーズに加入したが、それ以前にはエリックがヤードバーズと一緒に演奏しているのを見たことも聞いたこともなかった。
私とエリックとの唯一のつながりがあったのは、ヤードバーズのメンバーたちが彼のことを話したときだけだ。エリックはこういうことをやった、ああいうことをやった、とかね。私はすっかりイラついて、「黙ってろ、今は俺がメンバーなんだぞ」と言いたい気分だった。
最初の2、3週間で私が聞かされたのは、「ああ、エリックのことか。女の子たちはこのバンドにいた彼の大ファンだぜ」ということだけだった。私は「わかった、もういい!」と言ったものだ。
その後ヤードバーズはアメリカに行ったので、それから1年間はエリックと会うことはなかった。私が加入したときバンドは「For Your Love」の大ヒットを持っていたが、エリックはこれが大嫌いだった。これが理由でエリックはバンドを脱退したのだ。
私たちはアメリカを3週間のプロモーション・ツアーでドサ廻りをした。イギリスに戻ったとき、あるクラブで偶然エリックとばったり顔を合わせた。これから殴り合いを始めるかと私は思った!しかし彼は私を見ると「やあ!」と言って私をハグした。だからそれっきりさ。
Q. 1983年、あなたはエリック・クラプトンと一緒にロニー・レインのために開催されたARMS [Action into Research for Multiple Sclerosis] ベネフィット・コンサートに出演しましたが、そのときエリックが「ジェフは私が今まで知っている中で最も優れたギタリストだ」と言ったといわれています。二人で一緒に演奏したのはその時が初めてだったのですか?
わぉ、なんてことだ。彼が本当にそう言ったのかい?とても光栄なことだ。
ARMSコンサートの前にはジョン・クリーズとモンティ・パイソンのコンサートで共演したことがあっただけだ。
(注:1981年にロンドンで開かれた「The Secret Policeman's Other Ball」。アムネスティ・インターナショナルのイギリス支部によって開催されたチャリティ・コンサートで、ベック、クラプトンのほかスティングやフィル・コリンズらも参加した)
だからARMSコンサートは私たちが最初に観客の前で演奏したコンサートのひとつだった。その後も、(1985年に行われた)アムネスティ・インターナショナルのコンサートなど、いくつかで共演した。
(続く)