ジェフ・ベック ヤードバーズ時代のギター 「フェンダー・エスクワイア」について語る
フェンダーのYouTubeオフィシャルチャンネルで、ジェフ・ベックのインタビューが見れる(英語)。
かつて全世界で150本限定で生産・販売された「ジェフ・ベック・エスクワイア」にあわせて、ベック本人によるコメントが公開されたものだ。
逐語訳ではないが、以下、和訳を付した。
このギターの入手経緯と手放したきっかけを述べている。
さらには、ギタリストとしてどのようなスタイルを意識しているかを語り、ジミ・ヘンドリックスの存在の大きさに言及している。
フェンダーがローズウッドのフィンガーボードを使い始めたころだった。
でも私は欲しいとは思わなかったんだ。メープルウッドのほうがいい。
1965年にヤードバーズがウォーカー・ブラザーズと一緒にツアーに出た。
そのときウォーカー・ブラザーズのジョン・ウォーカーに会って、このギターを見せてもらった。
彼は75ポンドを要求してきたんだ。高い値段だよ。店で売っている新品のものより10ポンドしか安くなっていないんだから。
でもジョン・ウォーカーは75ポンドより値下げしないから結局その値段でこのギターを買い取った。
こうしてこのギターを手に入れ使い始めた。
後悔はしていないよ。
「Shape of Things」や「Over Under Sideways Down」、「I’m a Man」でこのギターを弾いている。
他のギターのことは知らなかったからね。
ヤードバーズに加入したのが(1965年)2月か3月で、それからずっとツアーに出ていた。
(その時は)自分自身のギターも持っていなかったから、エリック(・クラプトン)の赤のテレキャスターを弾いていた。
あのギターはエリックの持ち物じゃなくて、ヤードバーズの所有で、エリックに貸し出していたんだよ。
あいつら、なんて野郎だ!(笑)
『ブロウ・バイ・ブロウ』をレコーディングしているときに、(セイモア・ダンカンが)スタジオに入ってきた。
ギターケースを2つくらい持っていた。
(ダンカンは)「まだそのギターを持っているのかい?」と聞いてきた。
そうだよ、と言ったら、彼はケースからとても重いボディのテレキャスターを取り出したんだ。
それにはハムバッキングもついていた。
弾いてみるととても良い。レスポールととても合う。
私はすぐにそのギターを「Cause We’ve Ended as Lovers」で使ったんだ。
ダンカンは「覚えていたら明日また持ってきてくれ」って言ってくれた。
その日のセッションではそのギターをずっと弾いていた。
翌日、ダンカンは「ギターを交換しようか」と言うんだ。
「いいね」と私は言った。
私の持っているこのエスクワイアよりいいギターと交換できるんだからね。
でも彼がこのエスクワイアを持って出て行ってしまったときは、「ああ、バイバイ…」って感じだったよ。
自分が弾いてきたギターが去っていってしまったんだ。
でも私が持っているよりダンカンが持っていたほうが楽しめるだろうと思った。
これがこのギターとのお別れだった。
それぞれの演奏家の感覚にしっかりはまり込む、ということだと思う。
その演奏家以外の人には出来ないように見える、そんな感じが必要だ。
たとえばジミ・ヘンドリックスについて考えてみよう。
彼はどんなものでもその究極のことを成し遂げた。
彼はエレキギターで出来ると思われることはすべてやってのけたのだ。
私も同じようなことをやってきたが、ジミのように派手に目立つスタイルではない。
私は「クリンプト・エコー」と呼ばれる機材を使っていた。
これにはまったくお金を払っていないんだ(笑)
ステージでの演奏中に、フレーズのサンプルをつくって、さらにそのハーモニーを重ねていく、というやり方をした。
しかしヘンドリックスはもっと“見せる”演奏をした。宇宙にいるどのギタリストもあんなことはできない。
みんなこれには同意してくれると思うよ(笑)