エリック・クラプトンのギター⑥ ギブソン・レスポール(“ルーシー”)

このギターは、「While My Guitar Genty Weeps」のギターとして記憶されるべきものである。

 

クラプトンのギターサウンドのみを抽出したこの音源で、その演奏を確認することが出来る。 

 

 

 

もともとエリック・クラプトンがニューヨークで購入したギターであったが、クラプトン本人はそれほど使用しなかったと言われている。

 

1968年、クラプトンは友人であったジョージ・ハリスンにプレゼントとして寄贈した。

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ジョージはこのギターが赤くペイントされていたので、コメディアンのルシル・ボールにならって「ルーシー」と名付けた。

 

シル・ボールが赤毛だったからである。

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当時ザ・ビートルズは、ロンドンで『ホワイト・アルバムに収録される曲のレコーディングの最中であった。

 

すでに4人でジョージの「While My Guitar」を何度か録音していたが、ジョージは自分のギター演奏に満足がいかなかった。また、ジョン・レノンポール・マッカートニーも、ジョージの曲にはあまり真剣に取り組もうとしなかったため、ジョージが不満を持っていたとも言われている。

 

 

 

ジョージは、スタジオにビートルズのメンバー以外の人がいると、ジョンもポールも態度が良くなることを知っていた。そこで、ジョージはクラプトンに連絡を取った。

 

「ギターは持ってこなくていい。とてもいいレス・ポールを用意してあるからね」

 

このレス・ポールは、クラプトンがジョージにプレゼントした「ルーシー」だった。

 

クラプトンはたった1テイクでこのギター・ソロのレコーディングを仕上げた。しかしクラプトン本人はビートルズと演奏することで舞い上がっていて、この時の様子はあまり覚えていないらしい。

 

以下の動画は、「ルーシー」のトリビュート・モデルが発売された際に、クラプトンがレス・ポールについて語ったものである。 

以下、クラプトンのコメントの和訳:

 

いい色だ。傷までよく出来ている。すべて再現されているからだよ。この色で正しかったかな?・・・そうだ、この色でいいんだと思う。これは素晴らしく再現されたトリビュート・モデルだ。

 

ニューヨークで買ったと思う。1960年代にはニューヨークで長い時間を過ごした。クリームとしていつもツアーに出ていた。クリームの時にこのギターを弾いていたかどうか覚えていない。

 

このギターで「While My Guitar Genty Weeps」を弾いたアメリカからこのギターを(イギリスに)持ち帰ってきた。これをジョージにあげようと思った私はすでに他のギブソンレスポールを持っていたからね。

 

 

 

ジョージは私にセッションに参加しないか、と聞いてきた。彼は私をロンドンの私の自宅から連れ出し、 これからスタジオでレコーディングをするから一緒に来ないかと言ったのだ。

 

私の答えはYesだった。しかしそのまま家を出てきてしまったので、自分のギターが手元になかった。そこでジョージはこのギターを私に貸してくれた。彼はちゃんとマーシャルのアンプも用意してくれていたんだ。

 

もともとレス・ポールとマーシャルはペアだった。ブルース・ブレイカーズでもそうやっていた。この二つの機材はペアで機能する、そんなところが私は好きだ。50年代のブルースのように、とても分厚い音がするんだ。

 

B.B.キングやTボーン・ウォーカーのスタイルで(レス・ポールを)演奏したのは、フレディー・キングが最初だったと思う。1音を奏で、チョーキングを使う。

 

最初に「Hideaway」を聴いた。この歌のシングル盤を持っている人がかけてくれたんだ。B面は「I Love The Woman」だった。この曲では、短いがとても象徴的なブルース・ソロが聴ける。この曲を16~17歳で知ったのはラッキーだった。

 

そのあと、この曲の入ったフレディー・キングのアルバム『フレディー・キング・シングズ・ブルース』というアルバムを聴いた。確かではないが、たぶん彼はこのアルバムでレス・ポールを弾いていると思う。ゴールド・トップだったかも知れない。

 

のちにレス・ポールサンバーストをロンドンの楽器屋で見つけたのだが、サンバーストにはハムバッキングが搭載されていた。たぶんフレディー・キングが演奏していたのは、ハムバッキングが搭載されていたものだったと思う。

 

私はこのハムバッキングが搭載されているサンバーストを手に入れて、ジョン(・メイオール)と一緒に演奏することになった。その結果、サンバーストは私の体の一部のように重要になった。私の礎になったのだ。

 

クリームを結成してから、あのギターは盗まれてしまった。結局あのギターは「ビーノ・ギター」と呼ばれるようになった。

 

それから、私はゴールドトップを再び弾いてみたが…(私の答えはNoであった)

 

私のような単純な人間が何かを選ぶ、しかも本能的に。それがとても説得力があるのだ。