ポール・マッカートニー 「エピフォン・テキサン 1964年モデル」について語る その2

 

(「ポール・マッカートニー 「エピフォン・テキサン 1964年モデル」について語る その1 - ロックの歴史を追いかける」から続く)

 

「イエスタデイ」などのフィンガーピッキング奏法

みんな僕が正しいフィンガーピッキング奏法を身につけていると思っているけど、よく近づいてみると分かるけど、僕はそんなのはできないんだ。ジョンと僕は正しいフィンガーピッキング奏法を習いたかったけど、僕はついにそんなチャンスがなかったよ。でもジョンはちゃんと身につけて、「Julia」とかほかの曲でやっているね。

 

フィンガーピッキング奏法をマスターすることはなかったけど、でもあの音は大好きだ。だから自分独自のやり方を編み出したんだ。自分が演奏する楽器についてはすべてそんな感じで覚えていった。「Yesterday」とか「Blackbird」なんかでは、低音をつま弾きながら高音をはじく、そんな感じで弾いているんだ。

 

コードを弾く場合は平らなピックを使う。でも僕独自のフィンガーピッキング奏法で弾いたものがとても多いね。困るのは、僕独自の奏法でコードとかメロディーを演奏すると、爪がダメになってしまうんだ。

 

何年か前、(当時の)妻のヘザーがアクリルのネイルを塗ったらどうかと提案してくれた。僕はいやだよ、そんなことできない、って言ったんだ。でも最近のツアーではネイルを塗っていて、これがとても助けてくれるんだ。

 

 

 

「ブラックバード」の演奏

子供のころは誰でも自慢したいものがあるだろう。ジョージと僕はバッハの「ブーレ E短調を習った。実際のところは、この曲を何回か聴いて、弾きやすいように簡単に変えていったんだ。この曲のアプローチを借りて「Blackbird」を書いた。間の取り方とかは書いているうちに出来上がった。あの時が唯一僕たちがなんとなくクラシック風だった時だね。

 

「ミッシェル」で使われているコード「F7#9」

「Michelle」のF7#9というコードは、リヴァプールにある「ヘッシーズ」という店のジム・グレッティから教わったんだ。あの店で働いていた人はみんなジャズの専門家だった。ジャズができないと仕事にありつけなかった。グレッティがジャズのコードを教えてくれたんだよ。

 

(インタビュアー:「ジャズ・ミュージシャンの中には「ジャズ・コード」と言うと気を悪くする人がいますが・・・」)

申し訳ないけど、僕はそう呼んでいるよ。F7#9のコードはとても美しいし、僕たちが学んだ音楽(エルヴィス、ジーン・ヴィンセントエディ・コクランなど)には存在しないコードなんだ。

 

グレッティが演奏している時に、ジョージと一緒に店の中にいたことを覚えているよ。「え、その音は何?」って聞いたら、これは基本的にはFコードだけど、第4フレットの上の2弦を小指で抑えるんだ、って教えてくれた。僕らはそれをすぐに覚えて、しばらくはそれが僕らの知っている唯一のジャズ・コードだった。その後も彼からほかのコードを教わったよ。

 

僕はよくパーティとかそういう集まりにはギターを持って行って、女の子をひっかけられないかなぁとか思いながら、謎めいた雰囲気で片隅に座っていたものだ。あるパーティでは僕はフランス人になりきり、黒の襟のシャツを着て、グレッティが教えてくれたF7#9のコードをジャンジャンジャンと、謎めいた雰囲気で弾いていたんだよ。何年かして、ジョンが「あのフランス風の曲覚えているか?あれに歌詞をつけてみろよ」って言ったんだ

 

 

 

「マザー・ネイチャーズ・サン」や「ジャンク」のイントロ

僕はこういうコード進行を聞きながら育ったんだ。僕の親父はとても音楽好きだった。プロのミュージシャンだったし、家でもピアノを弾いていた。だから僕も音楽好きになったし、自然と音楽に対する耳が育ったんだよ。

 

聴いていてとても気に入り、すごく興味を持って、音楽として十分楽しめる、って感じるものがあった。でも、ちょっと待てよ、これは何だ?コードの中で一音一音下がってゆく、そんなのを演奏しているぞ?そこで僕はこれを調べて、自分自身のお気に入りのものにしたんだ。僕は自分の歌の曲調をリフレッシュするために、昔聴いていたこういうものを自分の歌に取り入れるんだ。

 

(「ポール・マッカートニー 「エピフォン・テキサン 1964年モデル」について語る その3 - ロックの歴史を追いかける」へ続く)

 

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