ミック・ジャガーの弟クリスが語る「兄のレコードコレクション」

こちらはミック・ジャガーと彼の弟クリス・ジャガー

 

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このクリスが兄のレコード・コレクションについて語った文章が、イギリスの新聞「The Daily Telegraph」(2013年6月7日付)に掲載されている。

 

ミック自身によるワールド・ミュージックについてのコメントも引用されている。

 

ローリング・ストーンズが単なる白人ブルース・バンドに終わることなく、幅広さと深みをもって発展していったのは、(少なくとも一部は)このミックの「教養」のおかげだったのではないかと思う。

 

www.telegraph.co.uk

 

 

 

恐竜が地上をはい回り、ポップバンドが「ハニーカムズ」などという名前を名乗っていた時代、私はロンドン北部にあるハムステッド・シアター・クラブで働いていた。

時折、私はリージェンツ・パークの近くにある兄の広いアパートに泊まっていた。

 

彼はアメリカ各地を回っていて、アパートにはほとんどいなかった。

ミックはアメリカでジョージ・ジョーンズらといっしょにステージに立ち、ハワード・ジョンソン・モーテルに滞在していた。

 

ロンドンに戻ってくるときは、ニューヨークで買った山積みのレコードを持って帰ってきた。

その中身は世界各国のミュージシャンたちだった。

 

ミックのレコード・コレクションの多くは数か月、時には数年にわたって未開封のまま積み上げられたままだった。

バルカン半島聖歌隊、マリアッチ(メキシコの路上楽団)、インド南部のヴィーナ奏者、ペルシャのウード、エジプトの歌手ウム・クルスーム、クリフトン・シェニエ(Clifton Chenier、1925~1987)をはじめとするアメリカ各地のブルース録音など、広範囲にわたった。

 

 

【クリフトン・シェニエ 「I’m a Hog for You」】

「クリフトンは私に大きな影響を与えた」とミックはこのザディコ・アコーディオン演奏家について語っている。

 

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「1965年ごろ、アメリカに行ったときに初めて彼を聴いた。そしてアーフーリー・レーベルから出ていた彼のレコードを手にしたんだ」。

 

ミックが選んだ曲は「I’m a Hog for You」だった。

「三拍子をとり、ウォッシュボードを使ったシャッフルになっていて、典型的なシェニエのスタイルにあわせて演奏されている。私たちはロサンゼルスでシェニエのバンドに初めて会った。彼がブルースナンバーを取り上げ、自分自身のスタイルに当てはめるやり方が私は大好きだ。今は彼の息子がツアーに出て同じアコーディオンを演奏している。ルイジアナの素晴らしい伝統だよ」。

 

 

 

どんどん増えていく彼のコレクションには、聴くべきものがたくさんあった。

いくつかのレコードは私たちをすっかり興奮させ、またよく分からない音楽については笑ったりもした。

エキゾチックなサウンドに驚いてしまったこともある。

くり返し聴いたものもあり、この世界では異なる場所にいる人々が異なるサウンドをつくり出すということに私たちは興味を引かれたのだ。

 

 

サリフ・ケイタ「M’Bemba」】

コレクションには北アフリカの音楽はあったが、それ以外のアフリカ音楽は多くは含まれていなかった。

それでもミックは西アフリカが起源の様々なサウンドに興味を示し続けた。

彼の注意をひいた声の持ち主の一人に、マリ出身のサリフ・ケイタ(Salif Keita、1949~)がいた。

 

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「彼はアフリカ西部出身の詩的なシンガーだ。アフリカ西部はブルースの起源なんだ」。

サリフ・ケイタのアルバム『M’Bemba』(2005年)について、ミックはこう語っている。

「付きまとうような声、そしてタイトルトラック「M’Bemba」は、今聞いても素晴らしいと私は思う。彼はアコースティックの楽器を見事に使いこなし、そのジャンルの音楽でトップ・ミュージシャンとして正しく評価されているよ」。

 

 

フェラ・クティジンジャー・ベイカー「Let’s Start」】

ミックはまたアフロビートのレジェンド、フェラ・クティFela Kuti、1938~1997)のファンキーなサウンドにも魅かれていた。

ここで彼は、クリームのドラマーだったジンジャー・ベイカーを引き合いに出している。

イカーはナイジェリアにレコーディング・スタジオを設立し、多くのアフロビートミュージシャンたちと演奏しているのだ。

 

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「自分が知っている限り、ジンジャーはこの種のリズムに入れ込んだ最初の人だ。実際にアフリカに行き、演奏もしている。彼は年長のジャズ・ドラマー、フィル・シーメンの影響を受けているが、それでもジンジャーはフェラ・クティのところまで演奏しに行ったんだ。いろいろな点で気が滅入るような旅だったはずだ。しかし彼はイングランド出身の多くのドラマーたちの誰よりも深く追求してゆきたい、といつも望んでいた。フェラは常に優れたオーケストレーションと素晴らしいホーンセクションを持っていた。彼自身もホーンを演奏し、2つのバリトンを使うというふつうはやらないことを好んでいたんだ」。

 

 

【T・ヴィスワナサン「Sandehamunu」】

ミックと私はインドの音楽の長く流れるようなラーガもいろいろと聴いた。

ミックのレコード・コレクションにはアラン・ダニエルーがまとめたインド音楽のレコードも含まれていた。

(訳注:アラン・ダニエルー(Alain Daniélou、1907~1994)はフランスの歴史家。ヒンズー音楽についての研究で知られる)

 

「アランが1960年代に完成させたレコードをいくつか持っていた。彼はインドの伝統音楽を録音するためにインドを旅してまわった。私はとくにシンプルなフルートが好きだ。彼らによれば、フルートは人の声に最も近い楽器らしい。インド南部のスタイルはT・ヴィスワナサン(T Visvanathan、1927~2002)やその後継者たちによって、とりわけ感情を高ぶらせる仕上がりになっている」。

 

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【ファラフィナ「Dounounia」】

ブルキナファソ出身のファラフィナ(Farafina)もミックのプレイリストに加えられている。

「チャーリー・ハートのおかげで彼らと知り合うことができた。彼らは『Steel Wheels』の「Continental Drift」で演奏してくれたんだ」。

 

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この曲では、モロッコの「Master Musicians of Joujouka」が嘆くような音を立てるショームを演奏している。

「ファラフィナはとてもいい仕事をしてきた。彼らのコンサートに来る観客たちの喝采に値するミュージシャンだ」。